エレファントカシマシの宮本さんが突発性難聴を患い、

毎年恒例となっていた10月の日比谷野外音楽堂公演などのライヴの中止が発表された。

私も去年のちょうど今頃、突発性難聴になり、宮本氏と同じ左耳が聴こえづらくなった。

 

昨年の9月16日のことである。

私はあの瞬間のことを今でもはっきりと覚えている。

その日は小さなライヴハウスでライヴを観ていた。

少し前に取材をさせたいただいたばかりの、お目当てのバンドのステージが終わり、

次の対バンのアクトを観ていた数曲目、左耳に明らかな違和感を覚えた。

それまで聴こえていた耳の、奥の奥の方まで爆音がバリッと音を立てて入り込んできたような、嫌な感じがした。

「んんっ?」と思い、左耳を押さえたり、反対側を押さえたりしてみたが、

ズカズカと侵入してきたノイズは、いつまでもそこに留まっていた。

ライヴハウスを出たら、さっきライヴをしていたバンドのメンバーがちょうどいたので、

「お疲れ様でした」と声をかけた。その時、大きくぐらりとめまいがした。

 

電車に乗っても、家に帰っても、左耳に入り込んだノイズは鳴り止むことがなかった。

次の日の朝、病院に行って診察を受け、そのまま点滴を受けた。

当日はまだはっきりと言われなかったのだが、数日後に「突発性難聴」であることを知らされた。

 

突発性難聴は原因不明の、難病に指定されている。

ストレスや過労、ウイルスが原因とも言われているが、特定が出来ない。

原因がわからないから、明確な治療法もないのだという。

しかし調べたら、発症から2週間以内で、しっかりとした治療を受けないと、

悪化してその状態が固定されてしまうとも書かれていた。

1ヶ月、3ヶ月、経つとそれ以上に良くなる可能性はかなり低いと。

だからこそ、私はとても焦った。

私は音楽ライターである。

まずは音楽を聴かないことには、出来ない仕事なのである。

しかもミュージシャンたちが心血注いで作った大事な作品を、判断する耳。

いわば最も大切な商売道具なのである。

 

しかし私が通った病院の処置はもどかしいものだった。

最初の3日間、小一時間ほどの点滴を受け、自宅に帰された。

毎日、聴力検査を受けるものの、一向に左耳の聴力は回復しない。

そこで先生はこう言った。「入院、しますか?」と。

しますか、じゃなくて、私としてはしなきゃいけないなら、していいのなら、

一刻も早く入院して集中して治したかった。

このまま聴力を失う恐怖ったらなかった。

しかし、「しますか?」なんて言い方をするのは

「入院したからといって必ず治るとは言えない」からなのだった。

でも治療にはタイムリミットがあるのだし、やれることは全力でやりたいと思い、

私は10月の頭まで約1週間、入院した。

 

血栓が詰まって突発性難聴を起こすこともあるとかで、

血液の流れを良くする為のステロイド剤の点滴を受け続けた。

お陰で入院中、少しは聴力が回復した。

しかしその後、入院時に回復したぶんの聴力は再び失われ、

半年が過ぎた頃、別の大きな大学病院で診てもらったら、

その先生は「これはほとんど聴こえないでしょう?」と言った。

高度な医療機器が揃った、その大学病院でもやはり、明確な治療法はないと言われ、

私は、だったらもう、今の左耳の聴力で生活したり仕事をしたりすることに慣れよう、という考えにシフトした。

 

 

大袈裟でなく、あの日から私の世界は一変した。

慣れないうちは、聴こえ方が変わるだけで、

これまで聴こえていたように聴こえないだけで、

私を取り巻く世界だけが扉をひとつ閉ざされてしまったような淋しさと不安を感じた。

駅のプラットホームで真っ直ぐに歩けなかったり、

電車の通り過ぎる音に耳が痛くなったり、

自分の話す声がどのくらいの大きさなのかも、よくわからなかったり。

一時期は転職することも本気で考えた。

だけど今では、ライヴに行く時は左耳に耳栓をしたり、

イヤフォンをする時は右耳だけ、というようにして、

全く聴こえないわけじゃないんだから、聴こえる限りはこの仕事を全力でやりたいと思うようになった。

最初はもちろん、ライヴに行くのが怖い時もあったし、

少し仕事を減らしていた時もあったけれど、1年経った今、

聴こえづらい左耳と上手く付き合いながら、

これからも音楽ライターとして精一杯、仕事したいと思っている。

 

 

宮本氏は突発性難聴の中でも比較的原因(というか悪い箇所)が

はっきりしている外リンパ瘻というものだったから、手術が受けられたのだろう。

もしかしたらそれは不幸中の幸いなのではないかと思う。

彼もきっと今、変わってしまった世界の中で戦っているはず。

ライヴが出来ない悔しさ、

今まで聴こえていた立体感でバンドの音が聴こえてこないもどかしさ、

自分の声が歌ってもこれまでと同じように自分の体に返ってこない不安もあるだろう。

早いうちに治せるだけ治してもらいたい。

もちろん、この病気のことだから全快とはいかないかもしれない。

調子が悪い日だってあるだろう。

だけど人はどこか一部分を失ったとしても、

失なわれた新しい世界で新しい自分の戦い方を身に付けることが出来る。

他でもない宮本さんだもん、

またドーンと!やってくれる日は、そう遠くないと信じて待とう。