2017年、MIYAVIはソロ活動15周年を迎えた。今や日本を代表するギタリストである彼は、もともとはヴィジュアル系シーンから登場したアーティストだ。だから、ヴィジュアル系というシーンに愛着を持つ者にとって、MIYAVIの存在は誇りである。が、私には、それと同時に、もどかしさを感じる存在でもあった。MIYAVIは、ヴィジュアル系シーンを出たことにより、ヴィジュアル系の外にいる人たちから<すごいギタリストがいる>と気付かれたアーティストだ。このことは、ヴィジュアル系とそれ以外のシーンがいかに断絶されているかの象徴でもある。ソロでの15年のうち、約半分の2002年から2009年まではヴィジュアル系シーンでの活動であるにもかかわらず、現在、MIYAVIを紹介する時、そのキャリアの前半部分は〈元ヴィジュアル系〉とか、〈ヴィジュアル系から脱皮した〉という一言で片付けられ、2009年までの雅-miyavi-と2010年以降のMIYAVIは、まるで別人のように扱われることがほとんどだ。そうとしか言いようがないのは分かる。けれど、当時、ヴィジュアル系シーンでの彼の立ち位置は、少し特殊だったし、同時代、同世代のヴィジュアル系バンドたちと比べても、彼の闘い方は明らかに他と違っていた。閉鎖的なヴィジュアル系シーンで雅-miyavi-がしていたことは、シーンの断絶とはむしろ真逆の、他のジャンルやシーンへの積極的な接続だった。あの頃、低迷ぎみのヴィジュアル系シーンにおいて、雅-miyavi-の存在がどれほど頼もしかったか。それを、〈元ヴィジュアル系〉の一言で済まされてしまうのが、私は残念でならない。今さら過去のキャリアを振り返ることは、今のMIYAVIには必要ないかもしれない。けれども、私はあえて今、ヴィジュアル系シーンにいたころの雅-miyavi-を振り返り、過去の雅-miyavi-と現在のMIYAVIをひとつに繋ぎ、その上で、MIYAVIの現在地を確認したいと思う。
 
 

MIYAVI『ALL TIME BEST "DAY 2"』(2017年4月5日発売)

MIYAVI『ALL TIME BEST “DAY 2″』(2017年4月5日発売)


 
 
まず、2009年までの雅-miyavi-がどういうアーティストだったかを振り返る前に、彼がヴィジュアル系の新世代の旗手として活動していた2000年代のヴィジュアル系シーンがどのような状況であったかを簡単に説明しておく必要があるだろう。
 
ヴィジュアル系は、1989年にメジャーデビューしたX JAPANの登場によって確立され、90年代に入るとLUNA SEAや黒夢、MALICE MIZER、SHAZNAなどの後続のバンドが人気を博し、一大ブームとなる。GLAYとL’Arc~en~Cielにいたっては、前者のベスト盤『REVIEW-BEST OF GLAY』(1997年10月)が488万枚、後者は同日発売のオリジナル・アルバム『ark』と『ray』(1999年7月)がいずれもダブルミリオンという爆発的なセールスを記録するなど、まさにこの時期、ヴィジュアル系は黄金期を迎える。しかし、1997年にX JAPANが解散し、翌年にX JAPANのギタリストであったhideが急逝、更に1999年に黒夢が活動休止、そして2000年にはLUNA SEAが終幕(活動休止)し、かつてGACKTが所属していた耽美系の雄、MALICE MIZERも2001年に活動を休止してしまう。そう、2000年代に入る頃には、90年代のようなブームは終息へと向かっていたのだ。
 
とはいえ、先にも触れたGLAYとL’Arc~en~Cielは、この頃から現在に至るまで活動を続け、両バンドとも、いまだに東京ドームで公演できるほどのモンスターバンドであるが、2000年代以降のこの2バンドは、もはやヴィジュアル系という枠を超えた存在になっているし、一度も解散を経験していない点でも、彼らは別格で、他のヴィジュアル系とは分けて考えるべきだろう。また、2000年代に影響力を持ったバンドとして、共に1999年にメジャーデビューしたJanne Da ArcとDIR EN GREYの存在も、決して無視はできない。Janne Da ArcはJ-POPリスナー層にまで、「月光花」(2005年1月)や「振り向けば…」(2006年2月)などの曲を浸透させたバンドだし、DIR EN GREYは、ヴィジュアル系に、より重く、より暗く、より激しく、という美学を持ち込んだ。彼らの登場以降、ヴィジュアル系の若手は、DIR EN GREYっぽい、メタルやハードコアを取り入れるバンドが急増した。とはいえ、それでも、90年代にヴィジュアル系が見せた、メインストリームを席巻するような勢いや、若者たちにこぞって楽器を手にさせるほどの強い影響力は、もはや2000年代のヴィジュアル系には無かったし、もっと言えば、この頃のヴィジュアル系は、他の音楽ファンにとって、嘲笑の的ですらあった。実際に私も、ロックフェスで知り合った人たちに「好きなバンドは?」と聞かれて「普段はよくヴィジュアル系を聴いている」と答えると鼻で笑われたことがあるし、大学の軽音サークルでは、ヴィジュアル系のコピーバンドができるサークルと、できないサークルが見事にはっきり分かれていた。このような、ヴィジュアル系を好きと言うとバカにされたり、排除されるような疎外感を味わう経験は何度もあった。2000年代のヴィジュアル系は、バンドにとってもファンにとっても、厳しい時代であったのだ。
 
雅-miyavi-は、まさにこの時代にヴィジュアル系シーンで活動したアーティストだ。Dué le quartz(デュールクォーツ)というヴィジュアル系バンドのギタリストとして1999年から活動していた雅-miyavi-は、バンド解散後の2002年にソロとして活動を開始する。ちょうど同じ頃に活動を始め、単独での東京ドーム公演まで登りつめたバンドとしては、ガゼットとシドが挙げられる。ガゼットはメタルコアを基軸としていたし、シドは歌謡曲を下地にした歌ものを得意としていた。他にも、ナイトメアやアリス九號.(現A9)など、X JAPANやLUNA SEA、黒夢からの影響を強く感じさせるバンドがたくさんいる中で、雅-miyavi-はというと、そういう、90年代に確立された王道のヴィジュアル系のイメージとは違う音楽を鳴らすことにトライしていた。
 
例えば、まず、彼のプレイスタイルだ。雅-miyavi-は、エレキギターよりもアコギやエレアコをメインに使っており、彼の代名詞とも言える、ギターをバシバシしばきながら弾くスラップ奏法は、ヴィジュアル系シーンでは彼特有のスタイルであった。また、多くのヴィジュアル系はルーツに、ハードロックやメタル、ニューウェーブを持つ者が多い中、雅-miyavi-のルーツには、根っこの太い部分にブルースがある。それは「Selfish love-愛してくれ、愛してるから-」(『雅-みやびうた-歌~独奏~』収録2006年9月)や「雨に唄えば〜ピチピチチャプチャプランランブルース〜」(『雅-miyavizm-主義』収録2005年6月)などの曲から顕著にうかがえる。他にも、カントリーやヒップホップもかなり積極的に取り入れていた。そして、これらの音楽(特にブルースやヒップホップなどのブラックミュージック)は、これまでのヴィジュアル系にはなかなか見られない要素だった。雅-miyavi-というアーティストは、ヴィジュアル系に、誇りと尊敬を持ちながらも、常に批評的な視座も持ち、これまでのヴィジュアル系が、取り入れてこなかった音楽要素をミックスしたサウンドで、リスナーに新しい価値観や選択肢を提示していたのだ。先達が作ったヴィジュアル系のスタイルをそのまま引き継ぐのではなく、独自のエッセンスを加えて進化させていく。それが雅-miyavi-の掲げた“ネオ・ヴィジュアリズム”だった。
 
そうやって、他ジャンルを取り入れながら進化する彼の“ネオ・ヴィジュアリズム”が、ひとつの到達点に達した作品が、LA留学を経て帰国後に発表したアルバム『雅-THIS IZ THE JAPANESE KABUKI ROCK-』(2008年3月)だ。ラップにブレイクビーツ、それらと呼応するパーカッシブなスラップに、シンコペーションを多用するヴィジュアル系らしいリフ、そして、キャッチーなメロディが共存するサウンドは、これまで聴いたことのない、新しいヴィジュアル系のサウンドだった。「陽の光さえ届かないこの場所でfeat.SUGIZO」では久々にエレキギターを持ち、ゲストで参加した大先輩、LUNA SEAのギタリストSUGIZOに、まるで噛みつくようにギターで吠えまくる。そして、そんなスリリングなサウンドの上で、ヴィジュアル系としての誇りと決意をまっすぐに歌った。
 

X、ルナシーに黒夢、先輩方が残した道しるべ
絶やさない様に 壊せIrony
俺らが守らなきゃなんない未来(dream)
これでも本気でやってんだ 全部失う覚悟で唄ってんだ
Don’t hinder. Get out of here
見た目で決めんな(ってか鼻からナメんな)

「咲き誇る華の様に-Neo Visualizm-」


そしてマジくだらない つまらない 価値観や偏見なんて 変えてやるよ
意味のない 価値のない 無駄な夢なんてないって事 見せてみせる
そう 変わらずに変えていくのさ 俺達の未来だろう?
この手で掴んでくしかないのさ

「陽の光さえ届かないこの場所で feat.SUGIZO」

 
さあ、ここから雅-miyavi-の快進撃が始まる。そう思った矢先、彼はこの作品を残して、ヴィジュアル系シーンから飛び出していった。
 
2009年、雅-miyavi-は結婚し家族をもったことを機に、事務所を独立し、翌年にはレコード会社も移籍した。これについては、様々な事情があっただろう。ヴィジュアル系を“捨てた”のか、“捨てざるをえなかった”のかは分からない。けれど、結果的に2010年以降、雅-miyavi-はヴィジュアル系シーンから距離をおくことになった。しかし、この出来事によって、彼が、これまで積み重ねたヴィジュアル系でのキャリアまでを、捨て去ってしまったわけではないと思う。あくまで彼が脱いだのは、ヴィジュアル系という鎧だけで、ヴィジュアル系で活動していた頃の自分や、ファンたちまでを捨てたわけではないのだ。なぜなら、私には、2010年以降のMIYAVIがしていることは、かつてヴィジュアル系シーンにいたころにチャレンジしていたことを、よりストイックに、より丁寧に、本腰を入れてやっているように見えるからだ。
 
雅-miyavi-がヴィジュアル系シーンを飛び出し、再スタートをきった第一弾アルバム『WHAT’S MY NAME?』(2010年10月)は、全曲ギターとドラムと歌のみで構成された、あまりにシンプルなスタイルのアルバムだった。ここにはおそらく、彼なりのけじめと覚悟があったのだろう。ヴィジュアル系という鎧を取り払ったとき、自分はいったい何者なのか、自分はギターだけで何ができるのかを見つめ直す。この作品には、そういう思いが反映されていた。けれど、この作品が持つ意味は、それだけではない。そもそも、彼が、このような極限まで削ぎ落とした作品を発表するのは、これが初めてではないのだ。2006年に発表したアルバム『雅-みやびうた-歌~独奏~』(2006年9月)は、『WHAT’S MY NAME?』と同じく、全曲ギターとパーカッションのみで構成された作品だった。だから、『WHAT’S MY NAME?』は、すでに確立していた独奏というスタイルを、再スタートのタイミングで、より洗練させ、名刺代わりに世に発表した作品であるとも言える。
 
 

 
 
続いて、2012年に発表された『SAMURAI SESSION vol.1』(2012年11月)では、雅-miyavi-がヴィジュアル系時代から取り組んでいた、多様な音楽と接続することを、セッションによって体現させている。プロデューサーに亀田誠治を迎え、KREVA、HIFANA、YUKSEK、H ZETT M、坂本美雨、細美武士、そして、三味線奏者の上妻宏光とフラメンコギター奏者の沖仁という、バラエティに富んだミュージシャンたちと本気で向き合い、そこで彼はいきいきとギターをプレイしている。この〈SAMURAI SESSIONS〉も、実はヴィジュアル系時代に既にその萌芽はあった。2007年、当時のサポートメンバーKAVKI BOIZとともに、ジャムによって過去曲を再構築した作品のタイトルこそが『7 SAMURAI SESSIONS -We’re KAVKI BOIZ-』(2007年7月)だった。そして、このKAVKI BOIZは、ベース、ドラムだけでなく、ヒューマンビートボックス、ターンテーブル、タップダンサー、ペインターというユニークなメンバーで構成されていた。このことからも、当時の雅-miyavi-が、いかに現行のヴィジュアル系に無いものを取り入れることに注力していたのかが分かる。ちなみに、KAVKI BOIZのメンバーは雅-miyavi-も含めると7人で、『7 SAMURAI SESSIONS -We’re KAVKI BOIZ-』の収録曲も7曲だった。だから、『SAMURAI SESSION vol.1』に収録された曲も7曲なのだというのは、考えすぎだろうか。
 
 

 
 
ここまでの、ヴィジュアル系を出て再スタート後の2作品で雅-miyavi-がしていることは、ヴィジュアル系時代にしてきた音楽性や手法をより洗練させたものだと言える。しかし、2013年以降に発表されたアルバム3作品は、これまでとは少し意味合いが違うように思う。
 
2013年、本格的な海外進出作品となった『MIYAVI』(2013年6月)で、彼は、ダンスミュージックを取り入れ、サウンドも、かなりエレクトロニックな方向へと舵をきった。更に、そのモードは、次作の、LAとカントリーの聖地ナッシュビルで制作された『The Others』(2015年4月)にも、最新作の『Fire Bird』(2016年8月)にも引き継がれている。とはいえ、もちろん、MIYAVIの作品であるから、あくまでも主軸にあるのは彼のギターだし、EDM一辺倒ではなく、「Guard You」(『MIYAVI』収録曲)のような、“和”とR&Bを融合させたテイストのトラックもあれば、「Hallelujah」(『Fire Bird』収録曲)ではゴスペルを感じさせたりと、多様な音楽を飲み込むことには相変わらず貪欲で、他のミュージシャンとコラボすることにも積極的ではある。が、やはり、これらの3作品で興味深いのは、ビートや音色にダンスミュージックの要素が強く出ている点なのだ。特に、最新作『Fire Bird』での、打ち込みやシンセの存在感はかなり大きい。そして、特筆すべきは、そのようなサウンドは、これまでMIYAVIが積極的には取り入れてこなかった分野だということだ。つまり、『WHAT’S MY NAME?』と『SAMURAI SESSION vol.1』の2作を、ヴィジュアル系時代の表現手法のアップデート版と捉えるなら、『MIYAVI』以降の作品で行われていることは、新しいサウンドへのチャレンジと言える。
 
では、なにが彼をそのような作品へと向かわせたのだろうか。世界的に見ても、決して最先端のトレンドではなくなりつつあったEDMを、あえて、海外進出のタイミングで、なぜMIYAVIは選択したのだろう?
 
それを考えるうえで注目したいのは、これらの3作品が、ダンスミュージックを取り入れたことにより、オーディエンスが“踊れる”曲になっていることと、『MIYAVI』、『The Others』、『Fire Bird』と、作品を重ねるごとに、オーディエンスも一緒に“歌える”曲が増えている点だ。『MIYAVI』では、ほぼ全曲が英語詞だったが、『Fire Bird』になると、日本語で歌われている曲もぐんと増えている。そして、MIYAVIのギターもまた、『Fire Bird』ほど、感情と直結したような、激しい鳴り方が目立つ。まるで、オーディエンスの声にMIYAVIがギターで答えるかのように。
 
 

 
 
きっとMIYAVIは、これが欲しかったのだ。例えば、ライヴで、オーディエンスが踊って、歌えて、MIYAVIも、その時の生の感情を音に乗せて表現して、オーディエンスとコミュニケートする。そんな、オーディエンスと何かを共有する感覚を、彼は求めているのだろう。
 
MIYAVIは、音楽が、人と人を繋ぐものだということをよく知っているアーティストだ。更に、そうやって繋いだ人たちを、とても大切にしてきた。そして、彼にとってそれは、セッションやコラボレーションの相手だけでなく、その音楽を受け取るリスナーやオーディエンスも同じ、音楽を通して繋がれる相手なのだ。ヴィジュアル系時代からそうだが、MIYAVIは、ファンとの関係性をものすごく重んじるアーティストだった。思えば2009年、雅-miyavi-が、結婚と事務所からの独立を発表したあの時、その現実をどうやって受け止めればいいのか分からないファンが大勢いた。雅-miyavi-はそういう子たちに対して、丁寧に、真摯に、そして何度も、〈みんながどういう思いで自分を慕ってくれていたのかは分かる。けれど、この選択をどうか分かってほしい〉というようなメッセージを、ブログで伝え続けていた。“分かるやつだけ分かればいい”とか、“ついてこれるやつだけついてこい”というスタンスではなかった。決してファンを置いてけぼりにはしないのだ。
 
2013年以降のMIYAVIは、海外でも作品をリリースし、活動拠点もLAに移し、本気で世界を獲りに行こうとしている。けれど、きっと彼は、そこへひとりでたどり着くことは望んでいない。おそらく、ファンもそこへ連れていくことを望んでいる。だから、MIYAVIはこのタイミングで、オーディエンスとの関係をより深めることを求めたのだろう。そのために、自分のサウンドに必要なものとして選択したのがダンスミュージックだったのだ。
 
今、改めて、2010年以降のMIYAVIについて、手法ではなく、マインドに焦点を当てて振り返ってみると、こんなふうに言い換えることもできる。まず、『WHAT’S MY NAME?』で、徹底的に自分と向き合い、次の『SAMURAI SESSION vol.1』では、セッション相手と向き合った。となると、次に彼が向く方向は、オーディエンスだったのだろう。2013年以降のアルバム3作品には、オーディエンスとの繋がりを重んじる、彼の性分が強く表れている。そして、ここでオーディエンスと向き合ったことで、今、世界を射程に捉えるMIYAVIが、より飛躍する態勢は万全に整ったとも言える。
 
かつて、90年代に確立されたヴィジュアル系という様式に、なんとか新しい息吹をもたらそうと、多様な音楽をヴィジュアル系に接続させて試行錯誤していたあの頃と同様に、今は、ギター弾きのアーティストとして、今の自分に必要なものをチョイスして、ギターサウンドにミックスすることに挑戦している。決して殻に閉じこもらず、外の世界と積極的に関わる姿勢を持ち、他者と繋がることで自分の力を何倍にも増幅させる。そうやって、自分を磨き、高めまくってきたのは、今も昔も、MIYAVIの変わらないところだ。
 
4月5日には、15周年を記念したベスト・アルバムがリリースされる。先日、その収録曲が明かされたが、そこには、2010年以降の作品だけでなく、それ以前のヴィジュアル系時代の作品もしっかり網羅されていた。この選曲からは、過去も現在も、家族も仲間もファンも、全てを抱きしめて未来へ進む、そんなMIYAVIの決意を感じた。ソロ活動15周年。きっとMIYAVIは、ここから、より高く遠くへ羽ばたくだろう。
 
 

 
 
 
 
 


 
ogawaakane_icon小川あかね●京都府在住。趣味はセーラームーングッズ集め。関西拠点の音楽レヴューサイトki-ftに参加しています。最近は関西のヴィジュアル系シーンがおもしろいです。