こんな感じで生きています。

こんな感じで生きています。


 
 
バカにされる生涯を送って来ました。
実際、そんなにバカにされてばかりではないと思うのだけど、バカにされたことばかり鮮明に覚えている。
何度かエッセイでも書いたけれど、幼稚園のとき友達に「そんなお洋服ばっかり着てたらバカに見えるよ」と言われたのが、バカにされた最初の記憶。
小学校を卒業するとき、クラスの男子に「おまえそんな中学行っても就職ねぇぞ」と言われた。
「そんな中学」から勉強を頑張って東大に入ったはいいものの、大学では同級生に「東大女子の40%は独身なんだって。大学時代にこのまま彼氏できなかったらおまえ一生独身だぞ」と言われた。「処女には文学は書けない」とも言われたことありますね。
めでたく予想を裏切って結婚したはいいものの、次は誰にどんなふうにバカにされるのだろうとヒヤヒヤしている。
 
それでも東大卒というイメージでは、現実以上に買いかぶられることも多い。
しかしバカだということは自覚しているので、身の丈に合った行動をするようにしている。
計算が苦手なので暗算はしない。むずかしい言葉を使わない。とか。
そして賢いイメージじゃないもののほうが好きだ。批評とか論文よりも軽めの文体のコラムやエッセイのほうをよく書くし、文学部の研究対象になるような文学よりも現代の小説のほうをよく読むし、描く絵もかわいさ重視のイラストだし、とにかく学問にはなりそうもないと思われるようなこと。就職できなそうなファッションが好きだし、一日の大半は0歳児と対等に格闘。賢そうではないかもしれないが、その中に私のパッションがある。
私はそんなスタンスで生きているのに、勝手に先入観をもって勝手に期待が外れた人に「学歴に頼ってるだけで実際ただのバカじゃねーか」と思われるのもやるせない。
そういう、何層もの「バカだと思われている」の被害妄想みたいなものが重なって、私の頭の中はもうバカ自意識ミルフィーユ構造なのだ。
もちろん、愛をもって「バカだね」と言われるのと、けなされるのとの違いもわかる。前者のような人に囲まれているときがいちばんラクで幸せだ。
かといって、賢くなりたい願望もあまり持ったことがない気がする。
バカにされることで受ける敗北感(というより、相手に「勝った」と思わせてしまった感)と、社会的な不利益を避けられればそれでいいのだけど。
 
慣れない人と接したり、自分の書いたものの反響がきたり、ちょっとした緊張状態になると、そのミルフィーユが顔を出す。
そんなとき思い出すのが、「バカ丸出し」と言われたJUDY AND MARYのYUKIちゃんがラジオで言っていたこと。
「バカだと思われるくらいでちょうどいいよ。だって、天才だ!とかもてはやされちゃうほうがプレッシャーで大変じゃない?」
YUKIちゃんがこんなふうなことを言っているのを聞いて、私は自分のバカミルフィーユ構造のてっぺんにいちごを乗っけてひと口でたいらげてしまったみたいな、痛快な思いがした。
『さくらん』のきよ葉も、「中身があるのにないように見せるのが粋というもの」って言ってたっけ。
 
まだ今の私には、秘めておくだけの中身があるかはわからないのだけど、さんざんバカなことを全力でやり続けて、80歳くらいになってそごう美術館かどこかで回顧展が開かれた暁には、「賢いふりして実際バカだったけどこの歳まで続けられるのは天才かもしれないね」くらいに言われていたらいい。
 
YUMECO1201大石蘭イラスト
 
 


 
ranprofile大石蘭●1990年生まれ。東京大学教養学部卒、東京大学大学院修了。雑誌やWebなどで、同世代女子の思想を表現するイラストやエッセイを執筆。著書に、自身の東大受験を描いたコミックエッセイ『妄想娘、東大をめざす』(幻冬舎)、共著に『女子校育ちはなおらない』(KADOKAWAメディアファクトリー)。(photo=加藤アラタ)
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