突然ですが。
曇り空って、セクシーだと思いませんか。
梅雨が明け、漸く好きな服を着て、新しいサンダルを下ろす。やってきた夏に人並みに浮かれてはみるものの、本当はちょっと居心地が悪い。生まれてこの方海の近くの街に住んでいる癖に、私にとって快晴の夏は少しばかり決定的過ぎる気がしてならないのです。
地元の街は梅雨が明けると急に、顔つきが変わる。いつもガラガラの電車も座れなくなり、閑古鳥が鳴いていた商店街はサーファーや水着姿の女性でいっぱいに。街は年に一度のドヤ顔で夏が来たことをアピールしてくるのです。まあ、もうそんな街にも慣れっこなので、「はいはい」とあしらいながら過ごすのが毎年のこと。あの服が着れない、この靴が履けないと梅雨時はさんざん晴れ間を切望したというのに、いざ夏本番を迎えてみると今度はじりじりと照りつける太陽が疎ましい。こうなると、恋しくなるのは曇り空。
晴れでもなければ雨でもない、中途半端な空模様。人間に例えてみれば、なんだか煮え切らないやつ…と言ったところでしょうか。けれども、お天気でも人間関係でも“曖昧であること”はとても魅力的な状態だと思うのです。なんでも決定的になってしまえば、それが全て。それ以上でも以下でもない。でも曖昧な状態は、あらゆる可能性を秘めているわけで。恋模様に例えてみても、“片思いが一番楽しい”なんていう言葉もあるくらい。好きな人の表情に一喜一憂したり、駆け引きめいたことをしてみたり。そこから生まれる“それから”を考えてはドキドキする。曇り空もそれと同じで。晴れるのか、雨が降りだすのか、はたまた曇り空のままなのか。気付けばいつの間にか振り回されていたりします。ちょっと強引な立論ですが“女心と秋の空”なんてことわざもあるくらいなので、やはりお天気と恋模様は、ただならぬ関係と言えるでしょう。だからこそ、私は曇り空のことを、とても魅力的でセクシーなお天気だと思うのです。
さて、今月紹介するのはそんな“曇り空”が似合いのバンド。
夏フェスでは出会えない、最高のロックンロールをご紹介いたします。
ロックンロールは踊ることに夢中になるあまりに、ロマンティシズムを忘れてしまった。
だがしかし、救世主が現れた。The Cheserasera(ザ・ケセラセラ)というバンドには、その“失われたロマンティシズム”が現在進行形で確かに存在しているのだ。
3ピースという編成から決して背伸びをしないバンドサウンドは至ってシンプルだ。まずは真ん中に歌があって、メロディーがちゃんと流れて行くこと。そして余計な飾りがついていないこと。ギター、ベース、ドラムという最小限のバンドセットさえあれば、すぐに演奏してみせることができる。まさにロックバンドのあるべき姿そのものだ。
熱いライヴをするバンドならごまんといるが、熱っぽいライヴをすることに関してはThe Cheseraseraの右に出る者はいないだろう。バンドの代表曲「月の太陽の日々」では疾走感溢れるイントロが終わると〈不埒な熱に浮かされ 飛び出した僕は風の中〉と歌い出す。この歌詞の一部分を観ただけでも、彼等の音楽が今もてはやされている“踊れるロック”とは真逆の位置にあることがわかるだろう。演奏はまだまだ荒削りだが、ざらりとした歌声や、長身痩躯の3人が時折見せるぎらりとした色気は、観る者の視線を釘付けにするだけの引力をもっている。
バンドの作詞作曲の大半を担うのはヴォーカルギターの宍戸翼だ。彼の作る歌の主人公はいつだってろくでなしだったり、女々しかったり…所謂“ダメ男”なのである。〈また遅刻寸前の電車を見送った〉くせに〈今日も僕を許す君をイメージ〉して朝寝坊を繰り返してゆく「でくの坊」の主人公も、〈さよなら〉を告げられたあと〈君の幸せもいつか 受け入れられるかな〉と〈泣いて終わったさみしさを 終わらないメロディーに〉する「FLOWER」の主人公も、どうしようもない男たちだ。だが、不思議なもので歌詞カードを観ながら1曲を聴き終えた頃には、なぜか彼等が色男に思えてくる。
それはひとえに、物語が残していく“残り香”の所為だろう。宍戸翼の書く歌詞の多くは“終わり”を描いている。でもそのひとつとして決定的な終わり方をしない。いつも曖昧なままだ。旅立ちを歌う「Drape」でも、最後は〈さよならは言わないでおくよ ただ寂しいから 今ここで歌う 心にはいつも合言葉を〉という言葉で結ぶ。未練がましいといえばそれまでなのだが、この残り香があることによって、物語の行く末に聴き手は想像力を働かせることになる。そうして考えているうちに、気付けばその主人公が愛おしく思えてくるというからくりだ。
10代の頃、大人ぶって聴いていたTHE BLANKEY JET CITYやTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTの事を思い出した。暗号解読をするように歌詞カードを睨んでは、その刺激的な世界にドキドキした。音楽も歌詞も、決してわかりやすいものではなかったけれど、覗き込めばいくらでも深読みさせてくれる懐の深さがあった。The Cheseraseraというバンドにも今、その懐の深さを感じている。少なくともメジャーデビュー以降の作品『WHAT A WONDERFUL WORLD』『WHATEVER WILL BE, WILL BE』の楽曲については、かなり。曖昧さが漠然としたものから、ちゃんと暗号解読の為の自由な鍵として機能し始めているのだ。
The Cheseraseraは今、新しいアルバムの制作と3連続自主企画「曇天ケセラセラ」を同時進行している。この自主企画を始めて行った際に、当時のバンド名“昼行燈”から現在のThe Cheseraseraへと改名したという。そして、この度の「曇天ケセラセラ」も彼等にとって、再出発の企画となった。と言うのも、今年初めに『WHATEVER WILL BE, WILL BE』発売して以降、宍戸、西田が相次いで体調を崩し、ライヴを悉くキャンセルする日々が続いた。そんな暗雲立ち込める期間を乗り越えての最初ワンマンが、今回企画の1回目だったという訳だ。
7月8日、新代田FEVERで行われたそのライヴはバンドを覆っていた曇天を見事に蹴散らす、実に晴れ晴れとしたものだった。それまでずっとある種、皮肉のように思っていた“The Cheserasera”というバンド名が、この日を境に不屈の勲章になったように思う。この先、彼等にまた何かの困難が訪れたとしても、その時はこのバンド名を誇りに、不屈の精神でバンドを続けていってほしい。だってこのバンドはきっと、年を重ねるごとに更に匂い立つような色気を放つことになる筈だから。
The Cheserasera自主企画「曇天ケセラセラ」
■7月8日(水) ワンマン ※終了
■9月11日(金) The Cheserasera / ame full orchestra / ジョゼ
■11月21日 (土) The Cheserasera / 他
※会場は全て新代田FEVER
The Cheserasera OFFICIAL WEB SITE http://www.thecheserasera.com/
イシハラマイ●会社員兼音楽ライター。『MUSICA』鹿野淳主宰「音小屋」卒。鹿野氏、柴那典氏に師事。7月はライヴ月間でした。その本数、なんと8本! TOKYO ISLANDの青空の下で聴く宍戸さん、戸渡陽太さんの弾き語りは最高でした。おかげさまで近年まれにみる日焼けっぷりでございます。そして人生初、音楽専門学校への潜入も果たしました。こちらの取材記事もそのうち公開になる予定。お楽しみに!