YUMECO RECORDSをご覧の皆様こんにちは、イシハラマイです。
前回の記事が公開された後、色々な方から嬉しい感想や、あたたかい応援の言葉をいただき、感無量でした。何せ筆が遅いもので、夜な夜な頭を抱えては碌に捗らないことも日常茶飯事ですが、今度とも少しでも面白い読み物をお届けできるよう、精進いたします。では早速ですが第2回、始まります!
タイトルからもお分かりの様に、今回はインタビュー記事でございます。私イシハラマイが人生初のインタビューに挑戦致しました。取材のお相手は前回紹介させていただきました3ピースバンド、The cold tommy。「解体新書」と称してバンド結成の経緯から、自身初のフルアルバムのリリース、メジャーレーベルへの移籍。そして現在進行中の自主企画まで。バンドの現在・過去・未来をメンバー全員に赤裸々に語っていただきました。痛い程に自らの音楽と向き合い、自らの音楽を愛す彼等。当たり前だけれども、その語り口は三者三様。だからどうしても、全員に思の丈を語ってもらいたかった。The cold tommyを知らないあなたや、前回の記事で少し気になっているあなたにも、そして勿論彼らを愛してやまないあなたに、ぜひ読んでいただきたい。読み終えたらきっと、彼等の音楽が聴きたくなる筈。彼等に会いに行きたくなるはず。因みにThe cold tommyは以下の日程で自主企画ライヴを開催中です。こちらもぜひ!
(取材・文=イシハラマイ ライブ写真=Mami Naito)
【The cold tommy 3ヶ月連続 自主企画】
■2/10(火)渋谷 TSUTAYA O-Crest ※終了
■3/19(木)渋谷 TSUTAYA O-Crest
■4/18(土)渋谷 TSUTAYA O-Crest
詳細は公式HPまで http://thecoldtommy.syncl.jp/
“ひとりでもThe cold tommyっていう自負心みたいなものはある(研井)”
ーーまずはバンド結成の経緯からお聞かせください。
Vo./Gt.研井文陽(以下、研井)「…こういう質問をされると、ちょっと困っちゃうんです」
ーーそれはどうして?
研井「今は間違いなく、ちゃんまつ(Dr.松原一樹、以下松原)とかっきー(Ba.榊原ありさ、以下榊原)と3人でやってるこのバンドが、The cold tommyなんですけど、ここに至るまで、色々な人とThe cold tommyというものをやってきたので…彼らのことを“もう関係ない”なんて言えないし、過去のメンバーがいなければ、今のメンバーとも出会えなかったし。だからどこからをThe cold tommyと呼ぶのかと言われると困っちゃうんです。ああ…でも過去のメンバーのことをあんまり大事って言っていたら今に対する“大事さ”が減っちゃう気もして…」
ーーなるほど。では、研井さんが初めてThe cold tommyという名前で活動したのはいつ頃ですか?
研井「20歳の頃、まだ広島にいた頃です。The cold tommyという名前でバンドを組んで、僕が上京するまで4年間くらい活動しました。上京して1年くらいはサポートを迎えてソロでやっていました」
ーー研井文陽という名前で?
研井「いえ、The cold tommyとして。それから、ちゃんまつとギターの人、ベースの人とバンドを組んで…。その時は、まだかっきーは入ってなくて」
ーー当時は4人編成だったんですね。
松原「そうですね」
榊原「それでベースの人が脱退するっていうので私が入ったんです。その時はまだギターの人もいたんですけど、ちょっとテンションが下がって行っちゃって…やめてしまって」
ーーそれで2009年に現体制になるわけですね。メンバーや活動の形態は変われども、研井さんはThe cold tommyという名前を受け継いで音楽を続けて今に至るわけで。The cold tommyという名前こそが、研井さんの音楽人生そのもの、という印象ですが。
研井「そう! そんな感じ! …変な話、自分ひとりでもThe cold tommyという自負心みたいなものはあるから。でも今、この3人でThe cold tommyをやっていて本当に、バンドの面白さみたいなものにとても手ごたえがって。…ぶち上がってます!」
“研井は4人の時代から3ピースで成立するギターを弾いていた。(松原)”
ーー4人編成から3人編成へ。バンドとしては大きな変化だったと思います。
研井「すっかり4人に慣れていたから、やっぱりちょっと大変でした。でも、一番初めにリハに入った時がすごく良くて」
松原「3人になってから周りのスタッフ達にも“研井ってこんなギター弾けたんだね! ”って言われたのは、すごい覚えてる」
榊原「4人の時なんて…ホントにふざけてんのかなって思うくらいひどかったから。今はちゃんと弾いてるね(笑))」
研井「比較的ね。ひとりになったら、やらなきゃいけないから」
ーーThe cold tommyの代名詞とも言える研井さんの強烈なギターリフは、必要に迫られて生まれたものだったんですね。
松原「変な話、研井は4人の時代から3ピースで成立するギターを弾いていたんですよ。だからギター2本だった頃は、大渋滞っていうか…、そういう印象はありましたね」
“曲作りは不細工な何かを整えていくという作業。(松原)”
ーーバンドの変化に伴って、曲作りの方法も変わりましたか?
研井「はい。曲作りについては基本、自分がデモを作ってそれをメンバーに聴いてもらって、という流れで、それは今も昔も変わらないんですけど、デモを曲にする過程が変わったと思います」
ーーそれはどんな風に?
研井「デモはとても汚いもので、音もつぶれていて。それが好きなんですけど、汚すぎて伝わりづらい部分もあって」
榊原「コードも何も分からないものを3分くらい聴かされても唖然としちゃって。それで理解しようとして考え込んでいると、研井さんが“どうなの? ねえ、ダサイの? ”とか言ってきて…(笑)」
研井「すぐに良い反応が返ってこないと“じゃあもうやらない!! ”みたいになりがちでした…。それに自分は雰囲気で押し切ろうとうするタイプだから、フィーリングでやろうとするんです。でも最近はそこで彼女(榊原)が…なんていうのかな…」
松原「ここをこうした方がいい、ってアドバイスを」
研井「そう、アドバイス!」
榊原「5年もやってきて色々考えて。ああだこうだ言ってる時間が長くなっちゃうと、曲も鮮度があまり保てないっていうか。飽きるわけじゃないけど、初めのワクワク感とかがなくなっちゃうから、それを失くさない為にどうしたらいいかなって。私は分析する事が好きなので、曲について話し合って、それを元に分析することで“これだ!! ”ってひらめく事もあって。そうしたら良いスピード感で曲が出来たんです」
研井「ちゃんと冷静に聞いたら各楽器の、ある種の弱さみたいなのもあって、カバー出来ていない帯域とか。行ったら邪魔になる帯域とか。だんだん分かってきて。ちゃんと組み立てた方が格好良い、という発見をしたから変わりました。空けておくべき余白とかも考えるようになって、バンドの面白さがより分かったんです」
ーーなるほど。曲の原石でありながら、あまりにも混沌としている研井さんのデモに対し、榊原さんは“分析”という形で向き合っているということですが、松原さんはいかがですか。
松原「結構ドラムとベースやギターは違うんですよ。デモに関してもコードがわからなくても割と聞こえて来るものはあったりして。とは言え、打ち込まれているドラムも全部潰れているので、その不細工な何かを“整える”という作業ですね。でも根本は今も昔もあんまり変わっていません、俺は。ドラムとしては」
“好きすぎて、なんかもう誰にも聞かせたくないなって思っちゃったんですよ。(榊原)”
ーーバンド結成の経緯、曲作りの事…と来たので、次は作品のお話を。自身初のフルアルバム『conservativedolls』は昨年5月のリリースですが、その後7月にメジャーレーベルJUSTA RECORDへの移籍を発表はしていますよね。移籍を踏まえてのリリースだったんでしょうか。
研井「いや、全然。CD作って出してツアーまわって…」
松原「で、(2014年)7月の頭のライヴで発表してるから…いつだったけなあ」
研井「(2014年)6月くらい」
榊原「落ち込んでいた時期だから…」
ーー落ち込んでいた?
榊原「(周りの人間が)戦略みたいなみたいなことを考えてくれていて。でも、そういう大きな流れと自分たちのタイム感が合わないと思ってしまい、…悩んでいた時期もあって」
研井「あと(自分たちとしては)曲も弱々しいものを表現したい部分もあるのに、外から見ると結構ロックとか…。それが好きで言ってくれる分にはいいんですけどただ“ロックだしね”って括られることが多くて。別に良いんですけど。伝わってないんだろうなって思うと悲しかったりして、まあ、でも悲しいのも自分の勝手だし…とか思ったり。そんな事も溜まりに溜まっていた事もあって」
榊原「『conservative dolls』はまさにその弱々しいもので。…変な話、誰にも聞かせたくないっていうか、守っていたくなっちゃうんですよね。レコーディングは楽しかったけど、そのくらいの時期は結構ずっとダウナーな感じでした」
研井「そう、格好良い曲がたくさんできていたから、レコーディング自体はテンション上がってて」
榊原「だから(メジャーデビューの話が持ち上がって)“そっちの話はちゃんと進めようとしているから頑張って”って(言われて)、未来が見えて来て。自分たちは悩まずに自分たちのペースでやればいいんだなって思えました」
ーー『conservative dolls』について、さきほど榊原さんは“誰にも聞かせたくない”“守っていたい”と仰ってましたが、それはどうして?
榊原「好きすぎて、なんかもう誰にも聞かせたくないなって思っちゃったんですよ」
研井「そう、ライヴでやるときも誤解されて伝わっちゃうような、そんな気持ちばかりしちゃって」
榊原「根本的にこのアルバム自体のメッセージが弱い心が支えてたっていうか、だからなんか自分もそんな気持ちになっちゃったというか。実は自分たちは、もっと動物的な感覚をもってライヴもやりたかったんですよ。でも、弱い心のままになっちゃって。ライヴは好きだから楽しいんだけど、やっぱり理解されないと傷つくんですよ」
ーーどんな風に受け取られても、“これが自分たちの音楽だからいいんだ”という強い気持ちが持てなかった?
榊原「はい」
ーー確かに『conservative dolls』の楽曲はとても繊細ですよね。だからこそ、表現するからにはちゃんと伝わらなきゃいけないという気持ちがある。守るべき弱々しい子供の様な。
研井「そう、ほんとうに」
松原「アルバムの中からライヴでやってない曲も、1曲どころじゃなく何曲もあると思うし。それが裏付けというか。セットリストにも割と入ってこなくて。アルバムが出てからすぐに次の為の曲を作り始めていたっていうのもあるんですけど」
ーーなるほど。今セットリストのお話が出ましたが、『conservative dolls』を引っ提げてのツアーもありましたね。
研井「はい。『conservative dolls』はずっとやってきた弾き語りの世界観と繫がるところがあって。弱いというか。(自分は)迫害を受ける人間性だったみたいで。どうやら…」
松原「誤解されやすい」
研井「そう、誤解されやすい。そういう境遇の奴とか見たら悲しくて。でもそういう悲しさが好きだから、それが割と表現の根幹にあったんですよ、どちらも。わかりやすく言うと…ジブリの『火垂るの墓』のオープニングで(主人公が)死んでるじゃないですか。ああいうイメージがとても悲しくて。このまま自分も成長していたら、そういう未来って必ずあるっていうのを、ずっと昔からぼんやり感じていて。その感覚が曲を作るときの根幹にあって。だから誰も相手にしてくれなくて自分一人で立っているという事が完成形になってしまっていた部分があって。そういう状況は今も好きですけど、それって悲しいじゃないですか」
ーー研井さんは、どうしても悲しさや孤独というモチーフに共鳴してしまう。そういったモチーフにこそ親近感を覚えてしまうんですね。
研井「はい。でも、それも勿論良いんですけど、皆でバンドやっていて。2人とバンドをやって音を出すという行為は、ある種そことあんまり直結していないというか。自分一人だとそうなんですけど、バンドで音を出すとそうじゃなくて。バンドって格好良くて楽しくて人を幸せに出来るものだから。そこに対して正直に居る感覚みたいなもので音楽を作りたいな、と思う気持ちが強くなって」
ーー孤独や悲しみが根幹にある曲を作る一方で、それを音として出す際には楽しさや幸福感を求めてしまう。
研井「そう、そうなんですよ。だから、訳が分からない。ハッピネスみたいなものをバンドに感じてるから、結局出てる音って、バンドのサウンドってそういう音なんですよ。でも俺の心の中だけがひとりで。だから、なんかこう…」
榊原「ライヴをやるまで気付かなかったんですよ」
研井「そう。ツアー回ったときに、相手にされない感覚があって…。伝わっていないな、とか。無視されている様な。(ライヴを)やって、フロアが“イエーイ!! ”って盛り上がってくれていても、余計傷付く、というか。“イエーイ!! ”とかじゃないのに…って、自分で“イエーイ!! ”を要求しているのに。
ーーその空間は盛り上がっていても、気持ち的にはひとりぼっちになってしまう。
研井「はい。でもこれって完成形なんですよ。無視されて、ひとりで悲しくて傷ついている、みたいな。でもこの完成形って、悲しさをここ(俯瞰の位置)で見る奴の感覚だから。それじゃあ死んでからの話になっちゃうから、それじゃあ嫌だなって」
榊原「『conservative dolls』を作っている時は楽しかったし、格好良い曲が出来てすごい嬉しかったから、その勢いで(ライヴを)やったらなんか…あれ?みたいな」
研井「ほんとに、環境ひとつでダメになったり。例えば初めてやるライヴハウスってだけでちょっと揺れちゃうくらいの弱さがあって。曲自体も多分すごい難しかったのもあるし。とにかく弱々しくて。弱々しいのに詰まってるもんだから、なんかこう…。誤算でした」
ーーなるほど。ドラムの位置って、メンバーやフロアを俯瞰できる位置に居ると思いますが、研井さんや榊原さんが感じている様な違和感みたいなものは、松原さんの肌感覚としてありましたか。
松原「まあ、そうですね。…でもライヴは止まれないし」
研井「そしてちゃんまつはあんまり俯瞰にいないんですよ、ライヴの時は」
松原「ああ(笑)。眼鏡もしてないから、ぼやーっとしてる。でも、(違和感があったとしても)ライヴはやめらない。ライヴをやめる、という理由にはならないから」
研井「そうだね」
“弱い生き方こそ、実は弱くない。(研井)”
ーー誤算や葛藤の中ツアーを回って、バンドとしての成長や変化はありましたか。
榊原「はい。『conservative dolls』というアルバムをずっと抱えていたから、ライブもさっき言った様な感じだったけど。そう、研井さんはずっとスーツを着てライヴをしていたんですよ」
ーーそうでしたね。でも去年の夏頃からは普段着になりましたよね。その辺りから急にバンドとしても肩の力が抜けたという印象がありましたが。
榊原「そうなんです。やっぱり真面目なこと言ってるから真面目な格好を、みたいな。人に伝えるために自分から真面目なことをやらなきゃダメだなって思ってスーツを着ていたんですけど。最近それは言い切って、次何が言いたいかってなったときに、もっと良い意味で楽っていうか…。何て言うんだろう、楽しい? 楽しい、っていう言い方もなんかちょっと語弊があるからあんまりなんだけれど…。よりライヴに近いっていうか、忠実にやりたくて。服装から変えてみたら気分が変わって。それで考え方が変わってきました」
研井「そう。なんか音楽についても…」
榊原「重い考え方から…」
研井「本当に気分っていうのは大事なもので。弱さとか悲しさとかってすごく正しいから、ついそこにずっと居ちゃうけれど、それがやっぱり良くなくて。…すごく好きなんですけど、単純に悲しくなるし。もうちょっと人と会話をするときに湧き上がるワクワクとか、楽しさとかそういうものが音楽にはあるから、そういうものに対して、もっとこう…。そういう音楽のすごさっていうか神々しさっていうか、カッコイイものを感じて幸せになりたいし、聴く人も幸せになってもらいたいなって想いを軸にして生きていきたいなっていう気持ちです。ちょっとした革命じゃないですけど、コロンブスの卵的な。弱い生き方こそ、なんか実は弱くないっていうか。実は俺はそう思ってるんですけど。多分俺は自分の生き方がそんなに嫌いじゃないから。こういう人間が堂々と道の真ん中を歩ける世界ができたらなんか割と楽しい様な気がして。そうしたらこういう仲間が居るわけだし。だからそれが良いと思うし」
ーーなるほど。研井さんの歌詞はバイオレンスだったり、目を覆いたくなるような場面が多く登場しますよね。
研井「はい」
ーーでも曲として聴いた時に、不思議とあまり暴力的に聞こえない。寧ろ、悲しいものや辛辣なものを無視せずに描くことによって、それらが生まれるヒリヒリとした狭い世界を守っていく。そういう人肌くらいの温かさがある。そういう印象を受けます。
榊原「確かに」
研井「そういう見方をしてもらえると嬉しい」
ーーその温かさに関していうと、音的にもそうで。これは前回のバンド紹介にも少し書きましたが、例えば松原さんのドラムはとても激しいけれども良い意味で冷静な部分もあって。
研井「お兄さんっぽいというか」
松原「お、なるほど」
ーーそうですね。例えば、その冷静さを欠いてしまったらきっと、曲がもっと野蛮になってしまう。
研井「ああ、わかります」
ーーメロディーが美しい榊原さんのベースが、もしも重低音がバリバリと鳴るだけのものだったら、もっと曲が怖くなってしまう。
榊原「はい」
ーーだからこの3人の今のバランス感、温度感が強面のロックンロールじゃなくて、激しくもどこか優しくというか繊細な世界観を作り出すのではないかと。
研井「そう、そうなんですよ!! それが根っこにあることを『conservative dolls』で発見できたから次でぶっちぎれる。だから俺、要するに音楽ってぶっちぎれてなんぼだと思ってるから。やっぱりロックンロールの人って、迷わずそこに居るからカッコイイんですよ。俺らは迷っていたから伝わらなかったんです。迷わずそこに行ければやっぱり、音楽になるっていうか。自分たちの迷わなさとは何かと言ったらやっぱりぶち上げていくことで。それが、新しい曲には詰まってるから。ぜひ聴いてほしいな、って思ってますね」
松原「そうだね(笑)」
ーー楽しみにしています。
研井「はい!!」
“挑戦状たたきつけようぜ、ってテンション。(研井)”
ーーさて、それでは最後に2月から始まった3カ月連続の自主企画ライヴについてお伺いします。まずO-Crestという場所が、少し意外でした。(※インタビュー時期は2月の自主企画以前)
研井「そうですね。僕らずっと下北沢のDaisy Barでやっていて好きなんですけど、今回はイケイケな感じがする渋谷に“仲間入りしようぜ!! ”みたいな。
ーーなるほど。昨年の7月のメジャーデビューを発表してから初の自主企画ですものね。
松原「はい。仲間入りかつ、そういう勢いだけの人たちにも負けんぞ、と。そういう場所で自分たち主体でやる、という意気込みです」
研井「人が集まって楽しそうな場所だから。…今までそういうのを避けてきた人間たちだけど、なんかちょっと挑戦状たたきつけようぜ、ってテンション」
榊原「Daisy Barも好きなんですけど、やっぱり下北沢っていう場所で今までも何年もやってきて、自分たちも新しい空気を取り入れたいっていうのもあって。渋谷ってライヴハウスがたくさんあって、その中でO-Crestってやっぱり勢いがあるし、綺麗なハコでやるのって楽しいので」
ーーそうですね。いわばパーティーですからね!!
研井「これだ!! これがまさに、一番いい答えです!!」
ーーO-Crestの勢いを身に着けてのDaisy Barとかもまた良いかもしれないですね。あとは弾き語りとか。
研井「それ良いですね。Daisy Barは弾き語りのハコにしようかな…」
ーーそれもアリですね。今回の自主企画は出演バンドもメンバーの皆さんで吟味したとのことですが。
松原「そうですね」
榊原「自分たちがやりたい企画に合うか合わないかっていうのは最終的には自分たちで吟味して決めてきたので、3回とも面白い感じになってるんじゃないかなって」
ーーこれは是非、最初から最後まで通して全バンド観てもらいたい内容ですね。
榊原「はい」
ーー自主企画、そして今後のリリース。楽しみにしています。
全員「ありがとうございます!」
イシハラマイ●会社員兼音楽ライター。『MUSICA』鹿野淳主宰「音小屋」卒。鹿野氏、柴那典氏に師事。一番最近に観た映画は『深夜食堂』。小林薫さん扮する“深夜食堂”のマスターと、様々な事情を抱えながら生きるお客たちの物語。東京という大都会の路地裏に人知れずある少し外れてしまった者達の居場所。The cold tommyの『conservative dolls』の世界と、少し似ているような気がした。