人間の鼓動を感じられるライヴ。BRAHMANのライヴは、まさに「生」そのものだ。
TOSHI-LOWはいつもその真摯な眼差しを一人一人に向け、オーディエンスは耳だけでなく、体全部でもってBRAHMANの音楽へダイヴしていく。
伝説的なライヴとなった幕張メッセでの「OCTAGON」から約1年。満を持してのワンマンツアーは、八角形〈オクタゴン〉の内角の和を示す「1080°」という意味深なタイトルがつけられていた。正確な意図が語られることはなかったが、大規模なライヴのあとだからシンプルに返るのではなく、メンバーは「OCTAGON」で勝ち得た手応えをさらに確かなものとしてファンと共有したかったのかもしれない。
あの日のステージを再現するかのようなセットが組まれ、さらにイメージ映像、リアルタイムでのカメラの映像がバックスクリーンに映し出される演出。ライヴバンドとして確固たる地位を築いているのにも関わらず、こういった実験的な演出を取り入れ、新たな武器としていく姿勢はさすがだ。
そして新旧織り交ぜたセットリストながら、最新アルバム「超克」の曲達の持つパワーが凄まじい。ライヴという空間で磨きあげられ、進化してきたことが伝わってくる迫力と一体感。
TOSHI-LOWがフロアにダイヴし、文字通り顔と顔を突き合わせながら歌う「警醒」では、お互いの力を出し切ってぶつかり合う人の波がまるでひとつの塊のように見えた。
そんな中TOSHI-LOWは「霹靂」を前にしたMCで「(震災が起こった)3年前から何も変われてねえのは俺だ」と自省的に語った。順風満帆に見える中での意外な発言に、フロアがシンと静まりかえる。
自分自身と現実をしっかりと見つめているからこその言葉に、息を飲むように聞き入るオーディエンスも、それぞれが自らを省みたことだろう。完璧なカリスマ等ではない。彼らは常に迷いながら、己と戦い続けている。その姿が魅力なのであり、またその意思が血肉となって、BRAHMANという鼓動を鳴らす。
そしてその意思は、エンディングの曲に象徴されていたように思う。アルバムのラストを飾る「虚空ヲ掴ム」のあとに、1曲目である「初期衝動」がプレイされたのだ。
予想外のセットリストに驚きながらも、イントロのドラムのカウントとともに、尽きた体力にもう一度燃料が投下されたように声をあげ、動き出すオーディエンス。この展開は巧すぎる。
毎回去り際をしっかりキメるBRAHMANだが、これほどテンションを振り切らせるセットリストもない。
「響き この胸高鳴る 容赦なき初期衝動」と宣言するフレーズが、メンバーとともに会場にいる全員の声で合唱され、力強く拳が突き上げられる光景はまさに圧巻だった。
到達点を通過点に変え、その声で、目線で、もっといけるはずだろ、と煽る。幼さや未熟さとともに捨てていってしまう「初期衝動」の持つ熱を、もう一度再確認し、己を鼓舞する様は、さながら決意表明だ。
感動のルーティーンにはまらないスタイルと迫力に圧倒されたフロアから自然と拍手が巻き起こり、汗だくの顔には、一様に清々しい笑顔が浮かんでいた。
さらに、来年2015年には20周年を迎えるバンドから、「尽未来際」という力強いキーワードが示された。
結成当時まで年代ごとの映像が早戻しで編集された映像も、「初期衝動」に突き動かされる思いが高まる。
まだまだこのバンドの熱は、アツすぎるほどにアツい。
立ち止まることなく前を見つめ突き進む彼らの「生き様」を、目撃し続けて行きたい。
後藤 寛子●ごとう ひろこ
モノ書きを志して奮闘中の現職サラリーマン。ジャンル問わず、とにかくライヴで音楽を味わうのが生き甲斐。音楽、映画なんでもありのレビューブログやってます。
[Noisy Notes] http://ameblo.jp/harunoyoru2014