スポーツでは世代ごとにまとめて語ることがしばしばあります。例えば、野球だと『松坂世代』なんて本もあります。フットボールでは、年代ごとの世界大会があるので、世代ごとにまとめることが容易なのでしょう。「黄金世代」と期待されることがある一方で、「谷間の世代」などとと呼ばれてしまうこともあります。
文学では、例えば、「第三の新人」あたりだと1920年前後に生まれた作家たちといえるかもしれませんが、それ以降はどうなんでしょうか。「村上チルドレン」なんてのは、世代とは違う気がします。
ちなみに、マーティン・スコセッシが遠藤周作の『沈黙』を映画化するようですし、再び注目が「第三の新人」へと集まることを期待してます。安岡章太郎は亡くなりましたが、先日、阿川弘之が『鮨 そのほか』を出版したのに驚いたのも記憶に新しいです。そうそう、阿川弘之は昨年のベストセラーになった『聞く力―心をひらく35のヒント』の著者阿川佐和子の父親です。
さて、日本文学における世代の話に戻すと、慶応三年というのが恐ろしいほどの当たり年で、正岡子規、尾崎紅葉、斎藤緑雨、夏目漱石、幸田露伴が生まれています。その他にも、民俗学者の南方熊楠やジャーナリストの宮武外骨もその年です。詳しいことは坪内祐三の『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り』に書かれています。
アメリカ文学に目を向けると、アメリカン・ルネサンス、ロスト・ジェネレーションなど数多くの当たり世代が出てきます。大学生の時にアメリカ文学の講義をとって、アメリカン・ルネサンスにあたる『緋文字』、『白鯨』、『草の葉』、『森の生活』などを読みました。その厚さに悪戦苦闘しつつも充実した読書体験だったのを記憶しています。そして、アメリカのことを学べば学ぶほどその影響力の大きさに感心します。
先日、ディカプリオ主演で注目を浴びた映画『華麗なるギャッツビー』の原作『グレート・ギャツビー』の作者であるフィッツジェラルドはロスト・ジェネレーションと呼ばれます。日本語では「失われた世代」などと訳され、最近では就職氷河期世代のことをそう呼んだりしましたが、元ネタは文学史で使われていた言葉です。
このロスト・ジェネレーションと呼ばれる人々は、青年の時に第一次世界大戦を経験しており、その後にも世界恐慌、第二次世界大戦といった大きな災いに遭遇しました。個人レベルで見れば、作っては壊され、作っては壊された世代なのではないでしょうか。そのせいか、彼らの作品からは喪失感を感じることが多いです。『華麗なるギャツビー』もそうだし、フォークナーの『響きと怒り』もアメリカ南部の裕福な家族の没落の話だし、ヘミングウェイの『老人と海』だって読後は喪失感にどっぷりでした。
ただ、『夜はやさし』のモデルとなったマーフィー夫妻のことを書いた『優雅な生活が最高の復讐である』や、ヘミングウェイの『移動祝祭日』を読むと、1920年頃のパリでの満ち足りた生活が描かれていて、彼らも辛いことばかりでなかったのだと多少安堵します。
ヘミングウェイは今でもアイドル的な人気があるようで、彼のライフ・スタイルに関するものが数多く出てます。2000年以降に限っても、『PAPA & CAPA ヘミングウェイとキャパの17年』、雑誌『Pen』、『ヘミングウェイの流儀』、『ヘミングウェイの酒』、『ヘミングウェイの言葉』、『ヘミングウェイが愛した6本指の猫たち』といった具合です。写真を見ると確かに絵になる男です。ただ、『ヘミングウェイ短篇集』に収められているものを読むと、外見はともかく、頭の中はいわゆるマッチョで男性優位ではなかったのではないかと推察しますがどうなんでしょうか。
なにはともあれ、梅雨も明け始めたようで、ヘミングウェイゆかりのダイキリやモヒートがおいしい季節になってきました。今年は何杯飲めるでしょうかね。
のま・つとむ●東京生まれ。米子在住。学校図書館に勤務。7月に生まれ、7月に死んだヘミングウェイを偲びつつ書いてみました。