なぜかしら、帰ってきたと思う場所があります。
それはしかし、京都タワーを観たときでも奈良の広大な平城京跡を観たときでもなく、自分の場合は長崎の街を路面電車に揺られていることだったりします。父方の血縁で、長崎に関係があると言いましても、ベースを生きてきたのは関西圏ですし、そこまで長崎に訪れることもありませんでした。
ただ、節目と呼べます時期に長崎には居ることが多く、たびに感じる「何か」があり、修学旅行でのそれ以外では、まずは18歳の頃、大学の入学が決まってからの時間を使って寝台列車で向かったことでした。連なっています坂道をただ、歩き、グラバー邸、大浦天主堂、オランダ坂、異国情緒が混じった、こじんまりとした街の中の温かさを持った人や空気に心が凪ぎました。かく私の「松浦」という名前も長崎ではあまたありまして、どうにも面映ゆい感情が喚起されては、皿うどんやちゃんぽんの美味しさやハウステンボスなどで静かに時間が流れていき、ホテルからは稲佐山が見えました。
私事ですが、この春から、幾つもの心理的にも物理的にも変化が訪れており、それを並べていますとキリがないのですが、多くに巻き込まれてしまい、やや疲れてもいたのも事実でした。移動と、慣れない場所での尽きない苦難、虚無と倦怠にふとさいなまれ、いつも楽しめていたものが楽しめなく、息抜きの時間がなくなりながら、それでも、落ち込んだときにも音楽は隣にあり、インドネシアのジャカルタで観ましたブラーのライヴでは感涙してしまったりしたもので、最近は少しずつ持ち直してきたものの、4月は本当にしんどい日々で、投げたくなることもありました。日本に帰りますと、多くのニュースや事象が高速度で動いているようで、良いニュースばかりではないのも気付きながら、花を愛でたり、自然がより好きになってゆく自身なりのバランスが春から続きました。
ここまで、この連載では、北京、ドイツ、台北、シンガポール、UKと取り上げてきましたが、基本、「旅」というものを軸に置きながら、多くの場所に当たり前に灯りがともり、生活が芽吹き、人々が会話を交わし合っているという景色という意味では、異国でも、日本でも、そう大差はありません。
不思議と、長崎は雨が似合う気がします。それは、例えば、個人的に想起しますフランスのサン=ジェルマン=デ=プレのように、重苦しくない空に降る雨とは空中で気化するように、水たまりを撥ねる前に、長崎港、また、セーヌ川に覆います霧が温和さとともに、幾つかの畏まった規律や街そのものが孕む同調圧力を外してしまう、そんな外観をなぞるからなのでしょうか。穏やかな街には路面電車と、修学旅行生含めた学生たち、働く人たち、ずっとそこで暮らす人たち、子供たち、坂道、永い歴史、建築物、潮風が渾然となりながら、フラットに五感を刺激します。情報量の多さではなく、当たり前の景色として。
つい先日に、訪れましたときは博多まで新幹線で出まして、特急かもめで向かいました。特急からの車窓から流れます景色がサバービア的な荒涼としたものではなく、田園や山が多いのも目に優しく、長崎駅には、こじんまりとした商業施設があります。そこの中の書店で本を買いますと、ブックカバーに船の絵が刻印されていました。
ホテル近くの老舗で皿うどん、ちゃんぽんを食し、そこのお店の方と色んな話をしました。こちらの味は少し甘めだから、ソースをかけた方がいいかもしれないこと、周囲にマンションが近年、急速に建っていて、全く変わってしまっていっていること。そういえば、綺麗なマンションや建築途中のマンションが目立ち、それはセカンド・ハウス的になのか、投資目的なのか、色々考えつつも、ほんのわずか露地に入りますと、古来からの通りがあり、タイムスリップしたかのような気分にさえなります。思案橋という繁華街で新鮮な魚に舌鼓を打ったり、短い滞在の間でも冒頭のように、“なぜか、帰ってきた”という感慨がずっと私を覆っていました。
浅い夜の間際、疲れとアルコールで柔らかくなった頭と思考でバーから街を眺めていましたら、暖色的な黄色系の灯に、淡やかな多くの色の灯が滲み、とても優しく闇を照らしているようでした。きっと、また、ここに戻ってくるのだろうな、そんな想いとこんな曲がなぜか心をよぎりながら。
いつか誰もが花を愛し歌を歌い
返事じゃない言葉を喋りだすのなら
何千回ものなだらかに過ぎた季節が
僕にとてもいとおしく思えてくる
(「天使たちのシーン」 小沢健二)
まつうら さとる◆1979年生 春から環境などが変化したのもあり、なかなか悪戦苦闘の日々ですが、郷に入れば郷に従えの精神で、この年齢でも学ぶことが多いのは有難いことです。COOKIE SCENEなどでもお世話になっております。最近のお気に入りはジャカルタでのソトアヤムというチキン・スープ、インディアン・カレーです。