忙しなかった三月が終わる。さながら、師走。なんなら12か月ずっと走ってる、私走。私、走る、はしる、走りたいな、走るの好きなのに息子が生まれてからもうずっと走ってない。走る時間が欲しい、時間は作るもの、作る、野菜と肉が冷蔵庫にあるのにそれらを組み合わせて何を作ればいいかわからない、携帯携帯、あれ、さっきどこ置いたんだっけ、また置き忘れした、あ~テーブルの仕事道具を片付けないと家族が帰ってくる、お腹を空かせて帰ってくる、ごはんまだってまた言われる、あれプレッシャーなんだよな…とかなんとか、頭の中で数珠繋ぎでしゃべりすぎて、ひと言目とかけ離れたところにどんどん伸びていき、考えていたことをあっという間に忘れるというようなことを日々繰り返している。
祖父をなくしてから気持ちを盛り返すのに時間がかかりつつも否応なしに仕事のピークど真ん中に突入し、頭がずっと覚醒して寝てるんだか寝ていないんだか、で、私の頭皮が大変なことになった三月初旬。行きたい行きたいと思っていてようやく皮膚科に行けたのが中旬。師、いわく「この3か月の疲れやストレスが全部出たのだろう」と。普段の生活嗜好はもちろんのこと、対人関係、実際的な体の負担、全部、出るらしい。特に頭皮や毛髪は、3か月前の状態が現れてくるというので、もう、完膚なきまでに、ドンピシャだった。職場含め対人関係に悩みはなかったので、話は早かった。ステロイド入りのシャンプーの使用と、水分補給をマメにして、とにかく寝る! で1週間様子を見ることになり、これが私には効果てきめん。ステロイド入りのシャンプーは入浴前に塗布して15分待ってから洗髪する必要があり、これが女性に不人気らしい。私はとにかく直したかったので何でもやる!と息巻いて、その夜から嬉々として治療を始めた。
自宅で特になんの美意識も持っていない私は、薬剤を塗布してオールバックになった頭部で、なおかつ服につかないようにタンクトップ姿で家をうろうろするなんてまったく問題のない行為だった(いやちょっと問題意識持って)。15分の間にできる家事をしたり、歯磨きしたりして時間をつぶし、思った以上に泡立つのでシャンプーにもストレスを感じることなく、楽しく治療にあたることができた。今回初めて行った、近所の皮膚科がとっても良かったのもある。おばあちゃま先生と看護師さん、受付の方も落ち着いた方たちで、私をかこんで荒くれた皮膚をみおろして、みんなして「あらあこれはとってもかわいそう」「がんばっちゃったのね」「だいじょうぶ、きっと治るわよ」と口々に言ってくれた。こんなシーン、ジブリになんかないけど、ジブリ映画の登場人物になった気分で、その時点で心があったかくなって、治るっていう前向きな気分でいた。
1週間後、ウキウキしながら皮膚科を受診した。病院に行くのがこんなに楽しみなことってなくて、思っていた通り、3人のご婦人はまた私を囲んで「あらきれいになった」「これはすばらしいわ」「よくがんばったわね」と口々に言ってくれた。真ん中で私は子供になった気分で丸椅子に座り、たしかに1週間がんばったし、それを認めてもらえて誇らしかったし、とにかくうれしくて、幸せで、にこにこしていた。皮膚科だと忘れるくらい、縁側の日向ぼっこなみの多幸感。そんなわけで、大干ばつがおきていた私の頭皮はきれいに治った。すぐ薬をやめるのは不安があるでしょう、と2週間分のビタミン剤を処方してもらって帰路につき、家までの道にある古書店で3冊本を買って帰った。
それから、次の休みに息子を連れて久しぶりに花を買いに行った。先月紹介した、鴨居まさねさんに描いていただいた絵を飾り小さな祭壇スペースを作ったのだけど、そこに花を手向けることを忘れていた。そもそも自分が花が大好きだったことも忘れていたほどで、何万回も使い古されたことばではあるけど、「心を亡くす、と書いて忙しいって本当だな」と実感した。息子に選んでもらった花を飾り、前を通り過ぎるたびにそっと心で手を合わせる。落ち着く場所ができた。
三月最終週、気力を取り戻してきたので、会いたい人には会えるうちに会っておこうと思い、中学からの親友の実家に、親友と春休みのお子ズの帰省に合わせて訪問した。友人にはいつも何もかも話しているので、私の現状を知っているし、お母さんにも話してくれていたみたいで、ドアを開けて私を迎え入れるなり「たいへんだったね」と言ってくれて、その言葉を聞いたとたん、友人のお母さんにしがみついて、私はわんわん泣いた。当たり前だけど私はアラフォーになりお母さんも同じだけ年を重ね、確実に老いているけれど、やっぱりお母さんってお母さんだ、と、自分の母親じゃないのに、そう感じた。
お父さんもいて、「お~来たか~」と、お会いするのが10年ぶりくらいなのに変わらず迎えてくれて、お父さんにもハグ。「なんでおじいちゃんとおばあちゃんのこと知ってるの?」と不思議そうな顔をしながら子どもたちも喜んで迎えてくれて、なにこの幸せ空間、と思った。本当に行ってよかった。帰り道、乗換駅にある雑貨店でスマイルマークのエコバッグを買った。昔からスマイルマークが大好きでこのエコバッグの存在も知ってたけど、即買いしなかったらいつ見てもそのシリーズのスマイルマークだけ売り切れていて、ずっと買えていなかった。何気なく入った店で、もしかして、と思って店内を探したら、在庫がごっそりあったのだ。今日はたくさんニコニコして、幸せに包まれたから、迷うことなく、即買い。ニコニコ記念日だ、と、足取り軽く、自宅を目指す。
母親であることが第一優先になってから、文字通り、自分のためだけの時間を求めるようになった。それまでそんなこと考えなくても私は私だったから。でも、不思議なことに、ひとりで出かけても、息子が頭から離れることがない。自分の服を見るより子供服を探してしまうし、お土産を見ても無意識で息子が食べられるものを探してしまう。だからエコバッグはめずらしく自分のことしか考えないで買った自分のための買い物だった。そして、早く息子に会いたいな、と思った。これは息子の前でニコニコできないときにふと見てニコニコできるように、戒めとして目に見えるところにひっかけておく。
いとうさわこ●都内に住むパラレルワーカー(おかん業含む)です。買った本のうち1冊は村上春樹氏のエッセイ『遠い太鼓』(1990年刊行)。古書店の本棚を眺めていたときにふいにタイトルに引き寄せられ、それが文庫ではなく第三刷で刊行時に近いものだったので、嬉しくなり再読へ。これは氏が長編小説『ノルウェイの森』と『ダンス・ダンス・ダンス』執筆時にヨーロッパで過ごした「37歳~40歳の時期」のエッセイで、〈四十歳というのはひとつの大きな転換点であって、それは何かを取り、何かをあとに置いていくことなのだ〉という大きな分水嶺あるいは精神的組み換えについて(愛すべき)村上節でつらつらと記した冒頭部分から始まった。だから今手に取ったんだ、と気づいた。たまにありませんか、こういう無意識。今年、四十歳になります。