私が住んでいる京都では、7月が近づくとどこからともなく聞こえてくる“コンチキチン”の音。
 
これは夏の風物詩、祇園祭のお囃子の音です。約1200年前、京の街を襲った疫病により多くの死者が出たことから、疫神怨霊を鎮めるために始まったといわれる祇園祭。先人たちが大切に守り引き継いできた伝統や山鉾巡行を目の当たりにして、今年も1年、疾病や災害などが起きないよう平穏無事に過ごせますようにと願いました。
 
 
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山鉾巡行・ダイナミックな辻回しの様子(月鉾)

 
 
先日観た映画も、先人たちの思いを感じられる作品でした。
 
『いつまた、君と~何日君再来』
 
これは、俳優・向井理さんのおばあさまの手記を映画化したもの。47歳で亡くなったおじいさまとの思い出が綴られた手記『何日君再来』を当時大学生だった向井さんがデータ化し、家族で自費出版して卒寿のお祝いに贈ったのだそうです。何十年も前に亡くなったおじいさまのことを「今も愛している」とおっしゃったという、そんなお二人が戦後の混乱期を貧しくても明るく生き抜いてきた実話です。そして、おばあさま・朋子さんからおじいさま・吾郎さんへの終わりのないラブレター。私にはそんな風に感じられました。
 
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文通を経て初めて二人が会った喫茶店のシーン。まっすぐで屈託のない笑顔を見せる吾郎と緊張のあまり好物のアイスクリームに口をつけられずにいる朋子。そんななか、また南京に戻るという吾郎にとっさに「南京に行きます!」と言ってしまう朋子の大胆さとその行動力。この冒頭のシーンにお二人のどこか似たもの同士のお人柄がぎゅっと詰まっているような印象を受けました。
 
朋子から見た吾郎は、いつもとても頼もしくてまっすぐで不器用な人。でも人が良くてお酒にのまれることが玉にキズで。でも朋子を通して描かれたこの物語は、貧乏だけど終始愛と笑顔に溢れているのです。
 
食べるものがない、その日を生きていくだけで精一杯でどうやって生活していこうかという時代。日本への引き揚げ船で我が子を連れて帰ってくることができなかった母親…当時はめずらしいことではなかったといいます。家族で身を寄せることになった朋子の実家で無一文の吾郎を罵倒する父、そして明かされる吾郎の悲しい幼少期の記憶…。辛く心が痛む場面でも、必ず傷心の吾郎に寄り添う朋子の姿がある。また、実家を出て家族で生活を立て直そうとする吾郎だが、仕事が軌道に乗っていよいよというときに追い討ちをかけるように不運に襲われる。これが実話だと思えば思うほど、人生はプラスマイナスゼロだって、努力や苦労は報われるものじゃなかったっけ?と思わずブーイングしたくなるぐらい、もどかしくてやるせなかった。でもどんな状況でも明るく支え続けた朋子を演じた尾野真千子さんの存在感は大きくて、尾野さんのチャーミングな笑顔や明るい歌声にどれだけ救われただろう。
 
実は映画を観ながらずっと考えていました。吾郎さんは幸せだったのかと。でも自分の運命に荒むことなく、心はとても豊かで子どもたちに胸を張れる父親でいたこと、仕事の成功という目に見えるカタチあるものはなくても、朋子さんや家族からこんなにも愛されていたこと。不運な人生だったけど、決して不幸ではなかった。亡くなって数十年経った今でも誰かに思い出してもらえることはとても幸せなことだと腑に落ちたような気がしました。
 
ある夜、吾郎さんが家族の前で、石井漠さんという舞踏家の“鬼の踊り”を踊ってみせるシーンがあるのです。つんつるてんの寝間着姿で陽気におどけて見せ、子どもたちも大はしゃぎ。家族が寄り添って仲睦まじく暮らしている様子と顔をくしゃくしゃにして笑う向井さんの素の部分が垣間見れたような大好きなシーンなのですが、実はこの踊り、実際に石井さんのお孫さんに習ったのだそうです。向井さんの本気が見える。向井さんのこの作品に懸ける、内に秘めた沸々としたマグマのような熱いものを感じました。曲がったことが嫌いで時としてそれは不器用にも見える吾郎さんがいつの間にか向井さんと重なって見える瞬間があって、なぜだか吾郎さんは孫の向井さんの想いを嬉しく思っているんだろうなとふと思ってしまいました。向井さんがこの物語をいつか映画化したいと構想を練ってから約10年なのだそうです。長い時間がかかったけれど頓挫したこともあったこの作品がようやく完成したのが、向井さん自身も結婚してお子さんも生まれたこのタイミングだったということはきっと意味のあることなのだろうと思います。
 
物語の最後に明かされる、もうひとつのドラマに涙が止まりませんでした。そして、ラストに流れる主題歌、高畑充希さんの『何日君再来』。すべてを浄化してくれるような、身体の細胞のすみずみにまで染み渡る澄んだ歌声。でも悲しいだけの涙じゃない。物語は決して派手じゃないしハッピーエンドではないかもしれません。でも、これは吾郎さんや朋子さん、先人たちが懸命に生きてきたかけがえのない尊い人生。自分が今ここにいること、生かされている奇跡と亡くなった父や祖父母たちへの感謝の想いが溢れてきて、とても幸せな気持ちに包まれました。
 
初日の舞台挨拶で、観客のスタンディングオベーションと鳴りやまない拍手に、尾野さんが感極まり号泣されたのだそうです。そして好きなシーンを聞かれて「全部のシーンが我が子のようです」と。この言葉にすべてが集約されているような気がします。そして、現代の朋子さんを演じられた野際陽子さんの最後の作品になりました。公開を楽しみにされていたとのこと…ご冥福をお祈りいたします。
 
 

 
 
 


 
shinomuramotoshino muramoto●京都市在住。雑誌編集・放送局広報を経て、現在は校正士、時々物書き。いよいよ9月から怒涛のライブラッシュへ突入します。楽しみのなか一抹の不安は体力が持つかどうか。以前ホットヨガやバレエをかじったものの続かなかった苦い経験を持つ私ですが、無理なく続けられるようなおすすめがあればぜひ教えてください。