義実家でリフレッシュしたお正月でした。

義実家でリフレッシュしたお正月でした。


 
紅白歌合戦というのは、「私がほんとに好きな人が出るような番組じゃないんだよねぇ」とぼやきつつ、こたつでJAPANを読みながら、家族行事として観るものだった。
「みんなコブクロの歌詞が良いとか言うけどBUMPの歌詞聴いてみ!!」
と思っていた。
一年に一度、このときくらいしか聴かない演歌は、祖父だけが盛り上がる。その時間、私はお風呂に入る。今でも数えるほどの回数しか演歌を聴いていないので、演歌の記憶はそのまま私にとって、祖父のいた情景のBGMになっている。
紅白歌合戦は音楽を楽しむためじゃなく、家族と過ごす時間の思い出を一年ずつ重ねるために観ていたんだろう。
 
去年、新しい家族ができた。
BUMP OF CHICKENや椎名林檎を聴き始めてから10年が経って、私も母になった。
10年前の私は、BUMPや椎名林檎の魅力を周りの大人にわかってほしいけど、若い子のことわかってるふりしようとして「BUMPいいよね」「椎名林檎はすごい」とか言う大人はイヤだ、と思っていた。
けれどいつのまにか、私も大人になって、昔と同じ音楽を同じように聴くことは減っても、好きなものは好きなまま。
そして新しい家族と紅白歌合戦を観る。
時代は変わった。
紅白は、ほんとに好きな人が出るような番組、になったのだ。
BUMP OF CHICKENと椎名林檎が出演した2015年の紅白歌合戦は、中二時代の自分への10年越しのプレゼントみたいだった。
そう思ったのはきっと私だけではないはずだろうけど……
過去2回、NHKとのタイアップ関連で出演した椎名林檎が、タイアップでない曲をひっさげて出演するのもさることながら、今になっていきなりBUMP OF CHICKENが初出演を果たすことにはどんな思惑があるんだろうと思わずにはいられなかった。
 
大衆路線とは一線を画しつつもキャッチーな、中性的で魅力的な声と、含蓄のある正直な歌詞で、10代を惹きつける男性ボーカルバンドというのは、数年周期で現れる。
2015年、SEKAI NO OWARIやゲスの極み乙女。が紅白に出る中で、BUMP OF CHICKENはどんな存在としてステージに立つんだろう。
10年前と同じ輝きを放ってくれるんだろうか。
中学生の頃よりは冷静に、テレビの画面を見つめる。
 
そこに映っていたのは、10年前テレビではなくDVDで目に焼きつけてきたのと変わらない「藤くん」の姿だった。
司会者にお礼のコメントを返しているのが、不思議な感じだった。
フェスと中継で結ばれて、ライブの一部が全国放送されている。
まるでライブ会場にいた中学生の自分の記憶が全国放送されているみたいな気分。
寄り添いつつ突き放すような、語尾の「よ」の響き。
歪んでもやさしく刻まれるギターの音。
あのときBUMP OF CHICKENに見出していたものは、きっと歌詞の深さとか、ルックスの色気とか、演奏の上手さとか、曲の明るさとかじゃなかったんだ。
そのことがはっきりとわかった。
BUMPにこんなにも傾倒してしまうのは、実在しないんじゃないか、って思わせる感じがあるからだ。演奏する姿を生で観ても変わらない。
何の系譜上にもない、「藤くん」の声という音。
本気で聴くすべての人に、私に歌ってくれてるんだ、と思わせる歌。
メジャーなメディアへの出演も少なくて、学校でどのグループにも属せない自分と重ねてしまう、そして彼らをひそかな居場所にするような。
そんな存在だからこそ、実在しない初音ミクという声とのコラボも成功したのかもしれない。
紅白に出てもNHKホールにいないBUMP。その実在しない感じが、しっくりきていた。
 
10年前にBUMPが心の支えだった私は、BUMPを聴かない時期も経て、またここに戻ってきた。
「大丈夫」と歌う声は今もまっすぐに届く。
彼らがいた心の中の場所の鍵はまだ失くしていなかった。BUMP風に言うならば。
そんなことをぼんやり思いながら、紅白の録画を眺めていたら、息子が初めてのつかまり立ちをして、にこにこしながらBUMPを観ていた。
 
YUMECO0105大石蘭イラスト
 
 


 
ranprofile大石蘭●1990年生まれ。東京大学教養学部卒、東京大学大学院修了。雑誌やWebなどで、同世代女子の思想を表現するイラストやエッセイを執筆。著書に、自身の東大受験を描いたコミックエッセイ『妄想娘、東大をめざす』(幻冬舎)、共著に『女子校育ちはなおらない』(KADOKAWAメディアファクトリー)。(photo=加藤アラタ)
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