まだいける!

まだいける!


 
もうすぐ25歳になる女友達に電話したら嘆いていた。
「もうアラサーだねって言われたんだけど!?」
私も今年の7月で25歳になった。25歳を迎えた同級生たちのFacebookでは、「アラサー」というワードが目立つようになってきている。
「四捨五入しなくてよくない?25から30まで5年もあるんだよ?5年ってけっこういろいろできるよ!?」
つい熱がこもってそう言ったら、そうね、四捨五入するのは70歳くらいになってからでいいよね、という話に落ち着いた。
別にアラサーがマイナスイメージばかりなわけじゃないけど、25歳になったとたんにアラサーと呼ばれると、“若い女の子ジャンル”から追放されたみたいに淋しくなる。まぁ、子どもいるんだけど。
たしかに20歳のとき今とでは全然違う。高校生の延長のくせに大人ぶってるような残念さがあった。
この10月で、メディアでの執筆活動を始めて丸3年になることもあってか、22、3歳のころのことをしきりに思い出して、若気の至りだなぁと恥ずかしくなることが毎日のようにある。
でもまだアラサーは自称しないぞ!
年を重ねるのがいやなんじゃなくて、25歳も30歳も同じみたいな雑な扱われ方がいや。
25歳は25歳、26歳は26歳、27歳は27歳、28歳は28歳、29歳は29歳で、1年ずつできるようになりたいことがある。25歳の輝き方と27歳の輝き方も違うと思う。「輝く」という言葉を使っている時点でなんか一度は女を諦めたみたいな感じが漂うんだけど。とにかく、5年くらいをひとくくりにはできない。
 
この間、作業中に気が散っている私を見かねて夫がお下がりのBOSEのヘッドフォンをくれた。
今までヘッドフォンにこだわったことはなかったのだけど、音楽を聴く楽しさが倍増、集中力も5割増くらいになった。
ちょうど仕事で描いている絵のイメージに合っていたので、栗原ゆうさんのアルバム「アラサーランド」をヘビーローテーションに。
これは、「アラサー」世代の恋愛や生き方の葛藤が、時に華やかに、時にしっとり歌われていて、全体的にポジティブなムードに包まれた1枚。
1曲目「アラサーランド」から2曲目「チョコレート・キャバレー」へのポップな流れがとくに最高なのだ。キャッチーだけど退屈じゃなくてユーモラスで、口ずさみたくなって身体が動いちゃうこの感じなんだろう……そうだ、小学生のころ、モーニング娘。を聴いていたときのテンションの高まりに近いものがある。
30代を迎えるときに見える世界、「アラサーランド」って、もしかしたらモー娘。に憧れてたあのころみたいな、アンビバレントでキラキラしたものなのかもしれない。
とっちらかった20代の全力疾走もやもやゴタゴタを経て、30代は自分なりのかわいさ、器用さ、エネルギーのバランスをとって自分らしく突き進んでいくのだ。
それを栗原ゆうさんは1枚のアルバムで見せてくれていて、聴いていると涙が出そうになる。
アラサーになってもかわいく美しい女性、変わらない女性、感覚が若い女性はいっぱいいるけど、ここまで「アラサー」という現象に向き合って、自虐でも若作りでもなく、リアルで前向きな「アラサー」観を繰り広げている女性が他にいるだろうか!
 
「アラサー」もわるくないな、と思う。「アラサー」って言葉は女の言い訳とか逃げに使われることも多いけど、今の自分とまっすぐ付き合っていくための言葉にもなる。
そういえば小学校低学年の頃、親の影響で森高千里を聴くのが好きだったから、最近相変わらずキレイな森高千里がCMに出てきて「私がオバさんになっても」が流れているとなんだか感動する。
「アラサー」という言葉がメジャーじゃなかった時代に堂々と「オバさん」観を歌い上げて、美しい「オバさん」となって復活した森高千里かっこよすぎる。
私も30歳まであと5年。30歳になった自分を思い描きつつ、少しずつ変わりゆくこの時期に見える世界を書き残していくんだ。
ロックスターは27歳で死ぬという伝説に対して、椎名林檎は30歳になるのが楽しみだったって言ってたしね……。
 
 
yumeco大石蘭1101_2
 


 
ranprofile大石蘭●1990年生まれ。東京大学教養学部卒、東京大学大学院修了。雑誌やWebなどで、同世代女子の思想を表現するイラストやエッセイを執筆。著書に、自身の東大受験を描いたコミックエッセイ『妄想娘、東大をめざす』(幻冬舎)、共著に『女子校育ちはなおらない』(KADOKAWAメディアファクトリー)。(photo=加藤アラタ)
■HP : http://oishiran.com
■ブログ : http://lineblog.me/oishiran/
■Twitter : @wireless_RAN