いつもYUMECO RECORDSをご愛読いただいている皆様、
お世話になっております。
このように自らの想いを故郷という起点から綴れる場所があるということは音楽家として本当に光栄なことだな
と感じております。
三樹さん、いつもありがとうございます。
さて、三樹さんもお母さんになられて、「2014」はさぞかしとんでもなくメモリアルな年だったであろうと想像しますが。
ぼくにとっても、20代最後の1年ということで「2014」は特別でした。


自らのバンド、ホタルライトヒルズバンドは3枚目のアルバムをリリース。さらに4枚目の制作。

 

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地元柏初のサーキットフェスMUSIC SUNの立ち上げ、ブッキング、開催。
プロデュースワーク。

 

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バンド・赤色のグリッターと2枚の作品を制作。

 

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前身バンドRAVEの1夜限り再結成。

 

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フォークを基盤としたソロ活動開始。ミニアルバム「ギターをならせ」の録音。

 

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これでもかというくらいに、
ここまで自分が音楽活動を続けてきた中で培ってきた”点と点”たちを
一本の線でひとつひとつ結んでいく日々。
それぞれはどこかで必ず結びついていくポイントがあり、
注意深くそれを見つめながらドアを空けていき、時には思い切り飛び越える瞬間もあり。
どれもこれも、ホームタウン《柏》という場所がなければ出来ないようなことばかりでした。

「どんな偉大な旅人にも還るべき家があった。」

何を目指すにしても基盤と成り得るふるさとがある大切さをこの2014年、深く深く思い知らされたような気
がしています。


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音楽は夢でした。
夢を無邪気に、真正面から描き、形にすることが出来る。
その唯一の手段がぼくにとっては音楽でした。
親の仕事の関係上、転校ばかりしていたぼくは
思春期特有の男の子に良くある”気持ち悪さ”みたいなものを
特定のお友達などと笑いあったり共有しあったりすることが存分に出来なかった
いわゆる秘密基地を堂々と作るようなことは中々出来なかったので、
漫画を描いたり、詩を書いたり、小説を書いたり
基本的にソロ活動、ひとりで遊ぶことでその”気持ち悪さ”みたいなものを消化してきました。
これがやがてアインシュタインの言う偏見のコレクションとなって後の人間を形どる重要な要素になっていくの
だと気づくのは20代後半あたりから。
10代後半のぼくの中に眠る、ちょっと人には大声で言えない夢見がちな想像が一気に爆発するきっかけになっ
たのがギターロックという起爆剤でした。
そんな唄を紡ぎながら出逢っていく大切な人たち。
はじめて本当に好きだと言える異性にも出逢っていく年頃。
夢だけではどうにも太刀打ちできないようなリアルが渦巻く人と人の出逢いと別れを目の当たりにして
突き抜けていくために選ぶ手段と、かけ離れていく自分の中の宇宙。
まるでひとりの人間が分裂して違う方向を互いに歩みだすような精神的別離に苦しむ20代中盤がやってきまし
た。
長いトンネルを抜けるきっかけになったのは親族同然であった幼馴染の死。
彼女が描いた一枚の絵と生前一緒に回ったスタンプラリーというキーワードににインスピレーションが爆発し、
「蛍ヶ丘」という言葉が生まれました。

 

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毎日、夏の終わりのような切なさとほほえみを抱いて生きる日々を経て、
またその心情にバンドサウンドを乗せていく再チャレンジ。
強い気持ち。強い愛。
繰り返し繰り返し、挑戦していくこの原動力の源はやはり”夢をみる心”であるように思うのです。
すなわち、日々描いていく、想像していく心。
それを具現化していくための豊かな日々。理想と現実。
まだまだ音楽家として生活していくには厳しく、
未熟なミュージシャンを続けていることに負けてしまいそうになったり嫌気が差したり
そんな瞬間もあるけれど
ぼくは信じてこれました。

名曲が一人歩きする時代は終わった。
これからはその人やそのチームが名曲であることが必要であると強く感じています。


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今この時の想いを曲にしました。
YUMECO RECORDSで限定公開です。

リンクはこちら↓↓↓

https://www.youtube.com/watch?v=ubLXu5r_XNQ&feature=youtu.be

空風

これと言って 抗い続けるわけも無く
かといって なにも感じないわけでもない
別段奪い取りたい 強い欲も無く
それでも 何かをまだ求め続けている

たしかにあの時うつくしいと涙して
たしかにあの時素晴らしいと歓喜して
たしかにあの時すべてがはじまった気がして
たしかにぼくらあの夕凪と空に居たんだ

空風うたう 世界のしるし
隠れた芽吹き 一夜のうねり
命の終わり 恋のはじまり
星のきらめき 瞳のひかり

すべてはいつかなくなってしまうものだと
さもありげにあの子はうつむき言うけれど
そのすべてのひとつすら探し出せぬまま
青春の残酷さに打ちひしがれている

あたたかい味噌汁を飲んでしまうのだな
火を焚いて友は集まり騒ぎ立てるのだな
そして明日にはひとつ残らず忘れているのだな
きみは誰 僕は誰 何一つ見つからないまま

涙のしおり 季節の香り
さよなら手紙 桜のゆらり
命の終わり 恋のはじまり
星のきらめき 瞳のひかり

生きていくこと 死んでゆくこと
愛し合うこと 赦しあうこと

人間の音 瞬間の音
音楽の音 心臓の音

空風唄う 空風唄う
空風唄う 空風唄う


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ふるさとに帰るという気持ちは
あたらしいことへ向かう気持ちにもすごく似ています。
ぼくが本格的に音楽を始めるきっかけにもなった”ゆず”さんが使っていたフォークギターとハーモニカ。
またこのアイテムをもってぼくは原点回帰を胸にソロライブをいくつかはじめました。
中学時代ずっと歌っていた神社の境内。
本当に好きな場所はヒントをくれます。
今一番不思議を感じるお気に入りの北千住の河原で書いた
アンダーザスカイラインというぼくの新曲が様々に呼応して、
これまたぼくの10年近くにもなる付き合いの二人、小山田壮平と石崎ひゅーいが集まり
何か面白いことをやろうという運びになりました。
あたらしい友達、谷口貴洋を加えて結成した一夜。
それが『オリオンと夜の虹』です。
オリオンというキーワードを元にみなで構想を進め、
最終的に写真家の松尾巧氏がアップしていたひとつの動画にインスピレーションを受けて
この素晴らしいタイトルへとたどり着きました。

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日にちは2015年1月23日(金)。
屈しくもぼくの29歳最後の1日。
最高のイベントにします。
ありがたいことにチケットはすでに完売状態。
初の4人ミーティングでは、鍋を囲みながらまるで星空の中にいるようなセッションが延々と繰り広げられまし
た。
還っては 挑む
還っては 放つ
還っては 行く
こんな風にしてぼくはここからまた2015年。
30代に突入して あたらしくて懐かしい、音楽家としての道を歩みだしていこうと思います。

大阪で生まれてから小学生の後半まで関西のいくつかの地で過ごし、
こうして千葉の柏に来て此処が最早29年で一番長く時を過ごした街になりました。
ふるさとは その心ひとつなのだと思います。
何かを始めようとする、その気持ちがいつでもその場所を”ふるさと”と呼ばせてくれるのだと。
大きく息を吸い込んで 歩みだす。

今日もこの街の太陽は
光り輝いています。

 

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2015年も藤田を宜しくお願い致します!
三十路爆発します!



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藤田竜史●フジタ・リュウジ
ホタルライトヒルズバンドのボーカル。
大阪出身柏育ちの1985boy。水瓶座O型。
Cafe Line Records所属/柏MUSIC SUN実行委員/赤色のグリッターサウンドプロデューサー
ビートルズ/黄色/スタジオジブリ/蕎麦/秩父鉄道/wilco/カバヤ/ゆず/宮沢賢治/
フォークシンガーはじめました。
http://youtu.be/70-9ZG7o95I