「なんでそんな、劇薬みたいな曲ばっか聴いてるの?」
家族共用のiTunesをシャッフルしていた兄が顔をしかめた。特別熱心な音楽リスナーではない一般人男性に対して、そのときは「ロックなんて麻薬みたいなもんだぜベイベー」とか適当に返した気がするが、でも、心当たりがないわけではなかった。音楽シーンの中でさえも、手軽に手に入れられる〈楽〉の感情がトレンドになっていることに違和感がある。ライヴで定番の必殺チューンとやらでの観客による手拍子のタイミングやステップの取り方、掲げた腕を上下する様子がマスゲームのように揃っていたりすると、実はこいつらみんなロボットで、誰かがスイッチで操ってるんじゃねえの?と思うときもある。懸命に何かを伝えようとする姿に胸を打たれる瞬間も、「時代を変えうるものを見てしまったんじゃないか」と静かに高揚する瞬間も、心臓を抉られるような悲しみを目の当たりにした瞬間も、「エモい」の一語で片づけられる風潮に違和感がある。人のエモーションの種類ってそんなに少なかったっけ。要は、熱量と情報量が肥大して〈平熱〉の温度が天井知らずに上昇していくこと、劇薬によって感覚が麻痺して感情が均一化されていくことが恐ろしい。その中にいると居場所が分からなくなって一歩引いてしまうし、「長々と語ったら鬱陶しがられるからほどほどにしよう」と防衛策をとってしまうんだけど。そうやって出来上がった人間は周囲から「冷めてるよね」と言われ、いろいろ拗らせたやっかいな性格に育つ。
時代の流れを否定したいわけではない。ただ、感情の均一化が怖かった。こうして真顔になっていく自分に刻一刻と訪れている、感情の均一化が怖かった。
3限の講義はいつも少し早めに終わる。知人との雑談を済ませたあと、学校帰りにCDショップに向かうのが毎週火曜日の恒例になっていた。いつものように店内を歩きながら入荷されたばかりの新譜を眺めていると、Base Ball Bearの5thフルアルバム『二十九歳』が目に留まった。黒を基調としたジャケットにはひとつのテーブルを囲むメンバーの姿。ベボベといえば夏のきらめきと青春の甘酸っぱさという印象が強かったから、落ち着いた雰囲気のジャケットが少し意外だった。手に取った試聴機のヘッドホンからは1曲目の「何才」。中音域のギターからイントロが始まり、ベース、ドラムと音が重なる。飾り気のない4ピースギターロックの音。ヴォーカルだけが突き抜けたり浮いてきたりすることのないくらいのバランスの、やや曇った音が心地よい。「何才」以降の15曲においても、70分超の本作を通して音像はとてもニュートラルだ。先述のヴォーカルが抜けてこない感じもそうだし、キャッチーなギターソロはない、というかまず派手なソロや特別目立つポイントがどの楽器にもなく、リズム隊が刻むビートは聴き手を煽るものではない。自分のなかの〈平熱〉とこのアルバムのなかの〈平熱〉は近い。試聴したときにそれを本能的に察したから、CDをレジに持っていたのだろう。
〈平熱〉と単調はイコールではない。そもそもベボベはたとえばデスとラブだったり、光と闇だったり、〈表裏一体〉をテーマにしてきたバンドで、両極どちらも鳴らすことによって、黒も白も鳴らすことによってそれを表現してきた。しかしたとえば「何才」での〈澱みからメロンソーダまで駆け抜けたい〉〈涙から笑顔まで網羅したい〉といったフレーズが象徴するように、白と黒が平然と同時に存在すること、それが矛盾などではないということを描くという意味で〈表裏一体〉を表しているのが『二十九歳』というアルバムだ。リードトラック「そんなに好きじゃなかった」は男女の恋模様を通じて一瞬にして天地が覆る様子をコミカルに描く。BPM120のダンスナンバー「アンビバレントダンサー」や、いわゆる「高速四つ打ちロック」である「UNDER THE STAR LIGHT」は静かなるカウンターだし、RHYMSTERとコラボレーションした「The Cut」やそれに続く「ERAい人」は現代人/社会への批評に聞こえる。「方舟」では〈僕以外が間違いか 僕が間違いか 気にしたり 気にしたり〉とアイデンティティの揺らぎやそれに伴う迷いを唄い、「光蘚」では〈僕は君を食らってでも輝きたいから〉と導き出したひとつの答えやそれに伴うエゴを唄う。周囲や社会に対して疑問に思うこともあるし、唾を吐きたくもなる。そうやって自分と世界との間に境界線を引きながら生きてきたくせに、迷いに迷っているし、揺らぎに揺らいでいる。だけど、自分は他の何者でもないと信じてやまない――文章にすると矛盾だらけだけど、そもそも人間ってこんなもんじゃなかったっけ。だから人の感情や行動はときに理屈で説明できない。かく言う私も冒頭に書いたように、迷いまくって常に揺らいでいる。妬みも葛藤もどこかへ逃げ出したくなる気持ちも、プライドも決意も希望を信じてやまない気持ちも。無理に誇張した表現はしない。声高に叫ぶこともない。ただただ4ピースギターロックの音によって、素面の状態のBase Ball Bearというバンドの音によってそれらが鳴らされている。だからアルバムに込められた感情の一つひとつが、とても自然に、自分のなかの感情といちいち共鳴した。
〈平熱〉とは、健康な生活を営み、〈喜怒哀楽〉で人生を濁らせる人間の体温である。心臓の鼓動が止まった死体のそれでもないし、四六時中コンセントに繋がれ熱くなった機械のそれでもない。1枚のCDを聴いたって、私のコンプレックスはコンプレックスのままだし、たぶん一生悩み続ける。しかし〈ぞっとするほど日々はつづく〉のならば、背中をビシバシ叩いてくるでもなく、温い同情をしてくるでもなく、36℃の平熱を保ちながらもその内側の人間味を丁寧に鳴らしてくれる『二十九歳』の音楽を傍に置きながら生活を続けたいと思った。
僕の呪いが 君の傷を癒す お呪いになりますように (「魔王」より引用)
歌詞カードを読んで初めて知ったが、「のろい」と「まじない」は同じ字で書くらしい。
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蜂須賀ちなみ●ライター/大学生。ヨコハマ在住。最近は主に「RO69」などで書いてます。8月中旬に個人ホームページを開設予定。15日ぐらいになったら私の名前でググってみてください。因みにこの夏のマイブームはサン○リーの飲料水のバーコードを集めること。ドラえもんのビーサンを何としてでも手に入れたい……!