某月某日:今日もまた暗闇の中へ。新宿バルト9で、『ばしゃ馬さんとビッグマウス』。遅筆ゆえ、すっかりタイミングを逸してしまいましたが(汗)、正直な話、この映画の公開を非常に楽しみにしていたのですよ。というのも、この映画を監督している吉田恵輔さんの前作『さんかく』が、あまりにも面白かったから。ここ5年ぐらいの邦画の中で、いちばん面白かったと言っても過言ではないのではないでしょうか。や、ちょっと過言かも。まあ、とにかく非常に面白かったわけですよ。ちなみに、その予告編は、こんな感じ――。
いやあ、予告編を観ているだけで、ギュンギュン来ますねえ(微笑)。物語としては、見ての通り、やや倦怠期を迎えたカップルのもとに、“彼女の妹”が居候することになって――という、“三角関係”を描いたお話です。と、書くと、非常に既視感があるというか、何やら凡庸な話のようにも思えますが、これが後半、まさかの超展開。むしろ、ホラーか!っていうくらいキワキワな情況になったり、それでもやっぱり、なかなか無慈悲な結末を迎えたり……なんだけれども、結局すべての登場人物が愛おしいという、「何だ、この映画は!」という驚きの一本だったのです。や、たとえ、どんなアレになろうとも、高岡蒼甫のことが嫌いになれなかったり、映画『ふがいない僕は空を見た』における田畑智子の熱演に、とりたてて何も感じなかったり、何のかんの言って結局、小野恵令奈の行く末が気になったりするのは、この映画のせいですから!
前置きが長くなりました。そんな傑作映画『さんかく』を生み出した吉田恵輔監督が、実に3年ぶりに送り出す待望の新作映画、それがこの『ばしゃ馬さんとビッグマウス』というわけなのです。主演は、麻生久美子と安田章大。ぶっちゃけ、観終えてから知りましたが、安田君って関ジャニ∞の方なのですね……や、非常に素晴らしかったですけど。ということで、今回もまた、自身が脚本を手掛ける“オリジナル・ストーリー”で勝負を挑んで来た吉田監督。これも余談ですが、今日の日本映画界において、“オリジナル・ストーリー”で勝負している監督は、非常に少ないです(『さんかく』も、吉田監督の“オリジナル・ストーリー”でした)。もちろん、だからこそ「3年」という長いスパンが空いてしまったとも言えるのですが。そして、今回の物語は、そんな監督自身の経験も踏まえた、「脚本家を目指す人々」の物語となっているわけなのです。とりあえず、予告編でも見ましようか――。
まあ、こういう話ですよ。「脚本家」という同じ夢を抱きながら、性格的には真逆のふたりが、やがて互いに惹かれ合う……って、えらい凡庸な話だな(苦笑)。そもそも、脚本の良し悪しって、映画でどう見せて行くんだろう? というか、正直な話、この予告編を最初に観たときは、「うーん、どうだろ?」と、楽しみにしていた割には、モヤモヤした思いを禁じ得なかったことを、ここに告白しておきましょう(微笑)。っていうか、よくよく考えてみたら、『さんかく』もそうだったのですが、この表層的な物語の“凡庸さ”こそが、吉田作品の最大の特徴であり、それを最終的にひっくり返してゆく様子が、最高に感動的なところなのですが。 さて。
ということで、本作も前半部分は、ひどく凡庸です。脚本の専門学校に通いまくるも、全然結果が出ない「ばしゃ馬さん(麻生)」と、実は一本も脚本を書き上げたことが無いのに、他人の作品に対する批評はとても辛辣な「ビッグマウスくん(安田)」。まあ、ふたりともそれぞれ「イタい」わけですよ、実際問題。なので、特に親近感が湧くでもなく、ギリギリ嫌じゃない程度のラインで、物語は推移してゆくのです。そして、そこに「ばしゃ馬さん」の元カレや「ビッグマウスくん」の友だちが絡んで来て、いつの間にかふたりは互いに惹かれ合い……だけどこれ、ラブコメ映画じゃないんですよ。 ここからが、例によって超展開なんです。そう、ちょっと前に『カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生』というクソみたいな漫画が話題になりましたが、この映画もまた、「夢をあきらめることのできない人々」の物語なのです。ただ、本作のポイントは、「いかにして夢を叶えるか」ではなく、かといって「夢をあきらめきれないものたちの悲哀」を露悪的に描くわけでもなく、言うなれば「夢のあきらめ方」という非常にリアルなテーマを扱っていることにあるのです。劇中、元カレのもとに泣きついた「ばしゃ馬さん」は、思わずある本質的な言葉を吐いてしまいます。「夢をあきらめるのって、どうしてこんなに難しいの?」。
みなさんは夢を持っていますか? 僕は特に持っていません。というか、具体的に話して聞かせるようなストーリーは、特に持ち合わせていません。もちろん、漠然とした「あこがれ」や「こうなったらいいな」というイメージはあったのでしょう。しかし、だからこそ、そのあきらめ方がわからないってことは、きっとあるのではないでしょうか。具体的に何かきっかけがあったわけでもなく、ただ漠然とした「あこがれ」を密かに胸に抱きつつ、漠然とその道を歩み始めてしまった人たち。そもそも「きっかけ」がわからないから、その「あきらめ方」もわからないんです。大概の人は、実際のところ、そんな感じなんじゃないかと思ったり。では、僕も含めて、そういったある種胡乱とも言えるような人たちは、果たしてどう生きれば良いのでしょうか? 「でも、やるんだよ!」――もう、それしかないんですよ。結果を先取りしたり、自分の才能に疑問を抱くようなヒマがあったら、もうやるしかないんです。この映画のポイントは、きっとそこにあるのでしょう。映画の終盤のふたり、「ばしゃ馬さん」と「ビッグマウスくん」は、本当に美しくて、美しくて、もう涙が止まりませんでした。物語の結末は、割かしビタースウィートなものです。しかし、そこでこの映画は、もうひとつ大事なことを教えてくれるのです。僕たちは、誰かのことを、その結果や肩書で見るのではなく、その本質的な“美しさ”で見るのです。かくして、『さんかく』同様、今回もまた、観終えた後は、あんなにどうでも良かった人たち――ちょっぴりおバカで結構イタい、すべての登場人物たちのことを、愛さずにはいられない。そんな映画になっているのです。これはもう、恐るべきストーリーテリングと言わざるを得ないでしょう。
そして。嬉しいことに、そんな吉田監督の次回作が、すでに待機中でございます。堀北真希主演の映画『麦子さんと』(12月21日公開)。
今回も、吉田監督の“オリジナル・ストーリー”です。こちらも、ひと足早く鑑賞することができたのですが――いや、これがまた実に良いのです。予告編から垣間見える、ある種凡庸な物語(というか、ちょっぴり『あまちゃん』っぽい?)が、途中からグルグルと反転してゆく、この圧倒的なカタルシス。そして、今回もまた、何だかよくわからない登場人物たちが、最終的には愛おしくてたまらなくなるという、驚愕のストーリーテリング。映画を観る前と後では、確実に何かが変わってしまっている。しかも、心持ち目線を上に、なぜか晴れやかな気分で胸がいっぱいになるような――そんな映画を撮り続ける男、吉田恵輔。とりあえず、この名前だけは、ひとつ覚えて帰ってくださいませ。
むぎくら・まさき●LIGHTER/WRITER インタビューとかする人。音楽、映画、文学、その他。基本フットボールの奴隷。