「今、俺が手放そうとしてるものって一番守りたかったものなんだよね。これまでずっと愛してきた、大事なもの。だから最後にちゃんと自分にも落としどころと、意味合いもつけて、『俺、終わんねぇよ?』みたいなエッセンスも加えながら。でもちゃんと、ひとつ物語は終わらせる」
今年、7月6日のライヴを最後に、解散することを発表したNo Regret Life。鹿児島で結成された彼ら3人、いつだってライヴ・バンドであることにこだわり、2001年の結成から全力で駆け抜けてきた。スリーピース・バンドならではの一体感溢れるエモーショナルなサウンドに乗った、その野性味とは裏腹な繊細なメロディ。そしてギター・ヴォーカルである小田和奏の、パワフルなシャウトが特徴的だが、同時に優しさも滲み出るような独特な歌声。これから始まる未来にワクワクするような歌も、いつかの自分や誰かに想いを馳せるような切ない歌も、たくさん鳴らし続けてくれた。
そんな彼らは今、どんな想いでこのバンドを終わらせようとしているのか。デビュー前後のこと、メジャー時代のこと、自主レーベルを立ち上げてからのことも含め、小田和奏が本音で語ってくれた。このインタヴューはNo Regret Lifeというバンドのヒストリーであり、小田和奏というバンドマンのひとつの生き様だと思う。どうか多くの人に大事に胸に刻んでもらえたら嬉しい。(インタヴュー・文=上野三樹)
〈後編〉「自主レーベルを立ち上げての再出発」の話から。
「『俺が自分でレーベル作って動くって言ったらお前らどうする?』っていうのを、ふと聞いてみたら、これは俺のわがままだけじゃないんだって感じた。二人はもっとバンドやりたがってる人間だったんだ」
◆2010年に、それまで所属していたマネージメント、レコード会社から離れます。
「そう、契約を終わらせて。アルバム『Wheels Of Fortune』が出来て、ツアーも終わって、そこでまた制作が始まる、っていう頃だったんだけど。いよいよ分かんなくなっちゃって、『Wheels Of Fortune』を作り始めた頃の気持ちに戻っちゃったんですね。そこで最初に言ったルーティンワークの話になってくるんですけど。でも、ミュージシャンって、永遠のルーティンワークをやり続けるってことなんですよ。そこにちょっとしたエッセンスを加えたり、試行錯誤して、作品を作って、ツアーをまわって、そういう繰り返しで。分かってるんだけど、また始まんのかと」
◆そこで、ちょっと休むっていうのはできなかったの?
「止まったら死ぬなと思ったから、ほんとに。下手したらバンドをやめて音楽やめてたかもしれないし。でもそれは自分が一番認めたくなかったの。なんで東京来たのって話だし。俺、全部失うのかなって恐怖観念もあったし。それで、そのときの制作進行チームを、外そうって思ったの。自分自身がちゃんと、今の僕はこれですって言えるものを出せるまで。ただ、そこまでメジャーメーカーでリリースして、ちゃんとバンドをオーガナイズできてる、あまり芸能寄りではない事務所に所属してやってきてたから、バンドのスタンスとかはきちんと理解してくれてたと思うし、だけど俺がやらなくても周りが全部やってくれることに対しても慣れてしまっていて。鹿児島時代なんて全部が自分のアイデアから始まって、どこをまわろうとか、誰とやろうとか決めてたけど。それが全部社長に聞いてオッケー出なきゃダメ、とか。『これメーカーは良いって言うかな〜?』とか言われて、なんで?!とか思っちゃって。それで『Wheels Of Fortune』のツアーが終わる2009年の1月から一年間くらいはモヤモヤしながら制作やってて、でも『またこれで出来上がるものって何なんだろうな』って思って。例えばもう、ディレクターとか『俺を納得させるまで出さねえよ?』って感じで言われてて、それでいよいよ分かんなくなっちゃったんだよね。ずっと同じチームでしか作ったことなかったし、風通しが良くないなと思って。そこにアイデアの掛け合いみたいなものもなかったし、ぶっちゃけ出てこないと思ったし。『こういう曲がやりたいです』って言っても『どうかなぁ〜?』って言われたら、それじゃ他のところでやりますってなるわけで。自分のスタンスにしても、これで良いのかな?って」
◆「他人任せにすることに自分も慣れてきてた」っていう危機感も含めて、自分でやるってところを選んだのかな。
「うん、別に勘違いしてたとかそういうんじゃないんだけど、やっぱ他人任せにしてたから、『ねぇこれどうなってるの、なんで上手くいかないの』っていうのを言えないみたいな。で、よくよく考えてみれば自分はすごくせっかちな人間で、『これ何でやれねぇんだよ』ってジタバタ言うし、言ったからにはやろうと思っちゃう人間で、っていうのをふつふつと思ったりして。そんな時に、鹿児島に帰ることがあって昔一緒にアイデア出し合ってたライブハウスの人たちと会ってるうちに、そうだよな、と」
◆原点に帰る機会があったと。
「それで2010年に入って最初くらいのスタジオで、『俺が自分でレーベル作って動くって言ったらお前らどうする?』っていうのを、ふと世間話程度に聞いたら、『それで曲が書きやすいんなら良いんじゃないかな』みたいな感じで。思ってた以上に、こいつらも今の制作現場から離れたくないわけじゃないんだ、と思って」
◆あまりそういう話をする機会がなかったんだ?
「なかった。ひたすらもう俺の曲を信じて待っててくれる、って感じだったから。『あれ、そうなのか』と。じゃあこれは俺のわがままだけじゃないのか、と。2人はもっとバンドやりたがってる人間だったんだ、って思って。曲書く人間ってインタビューとかで良く言うと思うけど、良い曲書けたときって『もう俺最高、天才!』って感じで、書けなかったときは『もう俺の存在価値なんてねぇよ』って両極端なんだよね。それは今でもそうなんだけど。で、その頃はもう曲書くとかじゃなくてコピーバンドみたいなことをずっとやってて。『あのコピーやろうぜ、なんかヒントあるかもしんねぇ』って。それが楽しくてやってたんだけど。春くらいになって、自分がイメージしてモヤモヤしてたものが具体的に『こういう感じでやったらいけんじゃね?』って。春が過ぎてギリギリになって、『社長に会いに行こうぜ』ってなって会いに行って、『事務所離れさせてください』って」
◆3人で行ったの?
「行った。でもあの2人には『喋んな』って言って(笑)。『俺が全部説明するから』って。社長に『なぁ、どうなんだよ最近』って言われて、『GROWING UP離れようと思います。全部自分でやります』って。『決定項なのか』って言われたから、『バンドの中で決定項です』って。『そうか。でも俺はお前らのファンであることには変わりはねぇから。新しい曲出来たら聴かせてくれよ』って言われて。そのときに気付くんですよ、社長に初めて会ったときのあの感じで、ずっと制作やれてたらまた違ったのかなって。事務所の話を今しても仕方が無いんですけど、最初の頃は夜中に電話して『この曲どう思いますか?』とかやってたんですよ。それが事務所にどんどんバンドが増えて、組織がでっかくなって間に入ってくる人の数も増えちゃって。前みたいに電話しても『社長に確認するからちょっと待って』みたいになっちゃって」
◆距離が離れちゃったんだね。
「普通にツーカーでやってたのになぁって。とか言いながら、それならそれでまた違うことにも悩んだりしてただろうけど、『いいやそれも全部含めて』って。『もう良い曲出来なかったら全部俺の責任で、良い曲できたらバンドでみんなでわーいってなるじゃん。それで良いじゃんもう』って。それが分かりやすくて良いなって。それでそのあとソニーのメーカーの人たちにも会ってね、『こういうことにしたんです』って。そしたら『何を手伝える?』って言ってくれたし、ありがてぇなと思って。んで、がんばろうって」
◆それで自主レーベル「spiral-motion」を立ち上げてやっていくと。メンバー二人は、もう和奏くんの判断にすべてを委ねてずっと付いてきてくれてたと思うんだよね。
「独立して、全部やろうっていうとき、あいつらも出来ることと出来ないことっていうのがめちゃめちゃあると思うんです、だから俺はもう純粋にあいつらのバンドマンとしての立ち位置を変えないことを大前提に、リリースだとかツアーのスケジューリングだとかは俺がやるからって。だから一個一個のライブで何を変えればもっと良くなるかってことだけを考えていこうっていう話をしました。マネジメント業務は俺が全部やるけん、2人はバンドマンとしてのことだけをちゃんとやろうって」
◆自分はそれをやっていけるって思ったの?
「うん。ていうかやるしかないって思った。だから要するに、バンドマンとしてのスキルを上げていくだとか、色んなもの見て自分に還元するとか、今までみたいにお金を稼ぐとか、毎月何かをペイするってことは現状すぐにはできない。だからまずは一年自力で生活を作ってくれって。でもバンドにかかるお金は全部俺が出すって。印税だったり何から何まで打ち込んで、些細な資本だけど、それでバンド転がし始めて」
◆それは、面白かった?自分の中では。
「面白かったねー。『ここにこんな金かかるんだ』とか、『これも全部自分で手配しなきゃいけないんだ』とかね。でも『大変でさー……』って感じじゃなくて『大変でさぁ!』って(笑)」
解散という決断。
「俺はずっとシーンの最前線でいたかったし、今もいたいと思ってる。でも、自分ひとりの気持ちだけで動かないからバンドって面白くてさ」
◆新しいスタートを切ったことで気持ち的な部分が全然違ってたよね。で、まぁそこから解散に至るまでの流れなんだけど……。
「なんだろうね……まぁその、独立します、ツアー行こう、音源出して、という流れがあったんだけど。自分が吹っ切れてるときにもう曲は書き出してて、『Magical Destiny e.p.』っていうのを会場限定盤で出して、ツアーをしっかりまわろうと。全国に『俺らまだ死んでねぇよ』っていうアピールするツアーをまわろうと。で、来年で10周年になるからそこでちゃんと10周年としてふさわしいフルアルバムを出そう、っていうので2010年の秋から『Magical Destiny e.p.』を持ってツアーをまわって。で、年末にはFEVERでお祭りイベントをやって、年をまたいで、東京でワンマンをやって、ってところで俺一回見えなくなっちゃうの。なんか全部やり切った感が出ちゃって、鬱っぽくなったっていうか。『何して良いのかわかんねぇ』って、初めてだったね。それは『Wheels Of Fortune』前後で味わったもがき、とかとは違う虚無感みたいな。人にも会えないし、何して良いのかわからない。ライブで、リハーサルで、ステージの上で歌ってるときだけ、『あ、生きてる』って感覚になる。終わってステージから下りたらもう別に楽しい気持ちにもならないし。ただライブで歌ってるときだけ『俺はまだ死んじゃだめなんだ』って思う感じだった」
◆それは2010年?
「そう、『Magical Destiny e.p.』のツアーが終わったくらい。久しぶりのツアーだったから、まぁ大変なんだろうなって思ってたんだけど、思った以上にやっぱ大変だったし。で、10周年の新しいアルバム作んなきゃって、作っていくんだけど、そんなにピリッとした感じにもなかなかならなくて。2011年の1月にSHELTERで10周年の最初のワンマンがあって、そのあと3月に毎週日曜日、4週に分けてSHELTERで10年間を辿るっていうイベントやってたら地震が来て。もうどうなっちゃうんだよって。でも、まぁちょっと元気になったりもしてて。ライブやってるからね。で、4月に入ってそろそろ具体的なレコーディングのスケジュールも出さなきゃな、曲も仕上げていかなくちゃな、プリプロどうしようかなって思ってるとき、4月の末にじいちゃんが死んだの。それがでかかった。俺の中で。でもライブは相変わらず楽しかったし。そこが救いだったんだよね。俺、人と会わなきゃダメになるんだってそのとき気付いた。それでツアーファイナルがクアトロっていうのはもうメンバー同士で1年以上前から決めてたし、日程も押さえてたし、ここまでは絶対走り切ろうな?って。レーベル立ち上げてから、自分たちの10周年を締めくくるまでは、絶対何が何でも一丸で行こうぜって決めて。なんかでも、体育会系のノリだよね」
◆うん、そのギリギリ感は見てて思った。
「で、そこに向かってやってたんだけど、ずっと実家で一緒に暮らしてたじいちゃんが4月に死んじゃって。自分のスケジュールのちょうど隙間のときだったから、俺帰れたんだよね。通夜と告別式と。で、もう葬儀場に着いて、見た瞬間からブワーッて、ずっと泣いてて。家族ってすげぇなとか色んなことを思うわけですよ。で、それで東京帰って、次の日くらいからスタジオ入って、ライブもあったりして、新曲を詰めていくんだけど、そこまであった曲をほぼ全部捨てて、実際に『Discovery』で録った曲って2日くらいで書き上げて……っていうなんかもうよくわからない状況だった。その前はプリプロの合宿とかに行ってたりしたんだけど、『もう頭の中に出来上がってるから、プリプロいらない』ってわけわかんないこと言って、実際プリプロやらずに『Discovery』のレコーディングに入って。まぁ、それは凄まじい出来だったよ。頭の中で、出来上がったものが鳴ってる、みたいな。アレンジとかも、3人で作りはしたけど、でももうほぼ読み通り。メンバーには言ってなかったことがひとつだけあって、『ハローグッバイ』って俺のじいちゃんに書いた曲なの。だからもう、あれが全てみたいな感じ。そして『Life is a Symphony』っていう曲は、今までの10年歩んできた何かとか、やっぱり出会いと別れみたいなものが自分の中にテーマとしてあるから。その両巨塔みたいなアルバム。10周年で『発見』ってアルバムってすげぇよな、って(笑)。なんかもうよく分かんないアルバムで、一番パーソナルかもしれないけど、一番開けてるようなアルバムで。『これはもうどこに出しても恥ずかしくねぇな、愛しいな』って今でも思える」
◆歌うべきことを見つけたってことだよね。
「ちゃんとある。だから、じいちゃん死んで、すごく親しかった人間を失うっていう。それ以外でもね、そういう気持ちをいっぱい味わった年だったりもするんだけど。なんていうか、『大事だ』ってもう口にして良いんじゃないかなって。大事だって思うものを大事だって言える強さみたいな。それで良いんだよねって。だから『Life is a Symphony』っていう曲で、苦い味を全部自分が飲み干すって意味でも良いし、色んなことあったけど、なんか良いよねって言える自分がやっぱいるべきかなって思う」
◆言葉の書き方が変わったよね。より具体的になった。
「うん、そんなアルバムかな。その後にツアーをまわって、クアトロまで来る手前かなぁ。年明ける前くらいにメンバーで呑んでた時かなんか分かんないけど、『クアトロ終わったらちょっと一息置きたい』って言われた。それは、音楽的な意味だけじゃなかったと思う。金も絶対なかったと思うし。ミュージシャンとしてっていうのは建前で、人間としてってことだと思う。俺が、バンドマンでいて欲しいって言ってた気持ちは、バンドのことだけ考えて生きろってことではなくて、例えばそれは誰かのサポートだったり、そういう現場に行って自分を磨くってことだし、音楽で生活を作るってさ、大変だけどそれをやりたくて出てきてるわけじゃん。もう一回その感覚に戻って欲しいなって思ったんだよね。その真意をどう受け取ってるか分かんないけど、でもそういう気持ちで言ってるから、バイトすることに関しても別に何も言わないし、(プレイヤーとして)『こういう話がきてるんだよね』って言われたら『やればいいじゃん!』ってその度に言ったけど、でもやれないもどかしさみたいなのもずっと見てきたし。謂わば、3人は井の中の蛙状態だったけど、でも俺は俺なりに飛び出していこうと思ってそういうのやったりとか、最初はみんな初めてなんだからさ、うまくいかなくても当然って思って、今の時期に恥かかなきゃいつ恥かくのって。40代になって恥かいてどうしようって落ち込むのって今よりしんどいと思うしさ。でも、みんな最初の一歩があるから、そこにどんどん突っ込んでいって欲しいなって思ってた。そこはでも俺の人生じゃないから言い切れなかったし、それでもやらないって方向を選んだのは本人たちだから」
◆そこで結構変わっていくわけじゃないですか。和奏くんは「俺はやっぱ人と会わなきゃだめなんだ」ってことも含め色んなことに気が付いて、活動も幅を広げていって。
「うん、俺は『Discovery』の年に初めて能動的に泥にまみれていこうって思って。何言われても絶対音楽やってやろうって思ってて。ていうのが、やっぱ10年やってきてさ、自分はずっと新人のつもりでやってきてるんだけど、どんどん後輩とか次の世代のバンドとかが出てくるわけじゃん。やっぱり勢いあったりするし、華やかにデビューしていったりとか、注目されてたりとか。でもそれでも会ったときには先輩って言われるわけ。あっちの方が圧倒的に勢いがあったとしてもさ。で、これはマズい、と思ったね。これは嫌でも自分がちゃんとしないと後輩は俺たちの事を『先輩』ってやってくるわけだから。この状況マズいぞ、と。単純にこのまま行ったら頭でっかちな説教おじさんになってしまう、と。だからちゃんと下の世代にとっても、上の世代にも、対等に張り合えるよって自分で状況作って思っとかないとマズいって思ったわけ。俺は……負けたくねぇとも思うし、だから自分は、自分であるべきものを作ろうっていうか。それで、話は前後するんだけど、『Discovery』ツアーのファイナルを前にして、ちょうどゲネプロをやり出す頃に、竜太か元太からそういう言葉が出てきた。一回ちゃんと立て直したい、と。『いろんなものを立て直したいから、時間が欲しい』って」
◆ずっとギリギリだったんだろうね、2人も。
「うん。それで、俺は『Magical Destiny e.p.』のときにガクンって自分のテンションが落ちた瞬間を経験してるから、これツアー終わったらもう次のツアーを先に組んじゃおうと思って。『だったら俺弾き語りでまわってくるわ』って言って、それで弾き語りのツアーを直後の2月に組んで、てことはお土産がいるなってことで、年が明ける前に弾き語り盤を録って。これでツアーが終わってもまたツアーが始まるから気持ち持つわ、って」
◆自分の気持ちが落ちちゃわないように先回りするようになったと。
「動いてなくてもバンドのキャリアって11年、12年ってなっていくじゃん。あんまり活動してなくても『芸能生活30年』みたいなやつ。それが嫌やなって」
◆だからバンドは動いてないけどソロで弾き語りのツアーやって。
「だから去年の一年は、『休みたい』って言ったけど、それぞれのスキルアップのための年にしようってずっと言ってた。で、俺は、歌を見つめ直す、と。1人でもできることだから。だから去年クアトロが終わってからの1年は、『音楽』っていうキーワードで、面白いなとか興味がそそられるものは全部やろうって年にしたの。それがAJISAIのプロデュースだったり。それもレーベルの動きとしての新しい指針になったらなって思って。あとはバンドの曲の準備をやってたり。あんまり今、オフィシャルでは言ってないんだけど、お店のこととか。それも縁があって始まったし。だけど『Live Bar crossingのマスター』であることは基本的に自分からは言ってないです。それを先に言っちゃうと、俺がまたバランスこじれてくるかなと思って。歌を歌うことっていうのが一番ど真ん中にないとダメだと思ってるから。そこだけは絶対曲げたくないからね。そうして『音楽』っていうキーワードで、面白いな、いいなって思うもの、ちゃんと自分の経験値に繋がるなってことは全部やろうって。バンド中心の生活から、色んなものをやれる環境になってきて、周りからは『何がやりたいのかな、あいつ』みたいに言われてたのも知ってたし、でも関係ねぇよと思って。だからスケジュール帳は多分去年が一番真っ黒だよね。『ゆっくり呑みにいこうよ』って言ってた人とも全然行けなくなっちゃった。でも、そういう色んな音楽の形を手で触ってみようと思って。ギター教室も初めてみたりとかね。それも大きかったよね。人にこんな形で伝えるってすごく大変なんだなって分かったし。どうやったらギターを初めて触る人が弾けるようになるのかな、とか。なんとか1曲弾けるようになったときって自分もすっげぇ嬉しいし。そういう一年があって、6月にバンドのライブがあって、レーベル2周年のイベントとかもやったりして、夏は一応、ノーリグでアコースティックをやろうって言ってたからやって、秋にもちょっとやって、で来年いよいよ動くからどの時期にレコーディングしようかなとか、どんなサイズで出すかなとか、どんな曲でいこうかなとか。やっぱ(バンドが)戻ってきて『うわっ、すっげえ良くなってんじゃん!』ってものにしてぇからなーとか考えてたら、12月の頭ごろ、元太が言うんですよ」
◆脱退したいと。
「うん。その前に竜太の体調が良くない時期とかあって、『鹿児島帰ろうかな』とかボヤいてたりして。っていうことはイコールこのバンドは続かねぇなって思ったんだよね。でも、帰るときは相談してくれよってずっと言ってたし。ひとりで悩んでたら、竜太も元太もどんどん陰に陰にいくの知ってたからね。『そんなのいくらでもアイデアあるじゃん、こうすれば良いんじゃないの』とか言うと『その発想はなかったわ』って言ってたし。でもアイデアってそういうもんだと思うからさ。で、『俺バンドでこんな風にやりたい』っていうのも話してたし、『休む1年じゃないでしょ』っていうのも言ってたし。『俺も意地でももう1枚アルバム作って、ツアーまわって、それでだめだったら分かるけど。今のこの中途半端で終わるのは嫌だし。それに今せっかく色んなことをやれる時間があるんだから、もう1回ちゃんとバンドに還元して動こうよ、そういう2013年を迎えるための1年にしよう』って。そこで竜太が気持ち的に復活してきて。ああ、これで動けるなってときに、元太がギブアップ。俺はそこで、語弊があるかもしれねぇけど、ミュージシャンとして生活することを諦めたんだって思った」
◆もし続けて行きたいという意志があれば、『もう1年休みたい』だとかさ、何か方法はあったわけだよね。
「でも、もう1年休んだら(聴いてくれる人たちは)平気でいなくなっちゃうっていうことを肌で感じてたしね。もちろん待っててくれる人は待っててくれるよ。そこに向かってありがとうと思うし、応えたいとも思うし、でもそれ以上に知らない人を振り向かせるパワーが必要ですよ。もしかしたら1年休んでる間に元太の気持ちが途切れちゃったのかもしれないしさ。やっぱね、最前線でずっと張ってる人間は強いですよ。それは、そうじゃなくなったときに分かると思う。俺はずっとシーンの最前線でいたかったし、今もいたいと思ってるし。でも、自分ひとりの気持ちだけで動かないからバンドって面白くてさ。結構絶妙なバランスで成り立ってると思うんだよね」
「Memory & Record e.p.」に込めた想い。ラストツアーに向けて。
「永遠はない。でも人を思い出したとき、その人は存在してて。だから人の気持ちっていうのが一番永遠に近いものなんじゃないかなって思った。こうやってバンドをやってきて、俺は何を掴めたのかなって考えて、同時に何をこぼしてきたのかなって。分かんないけど」
◆でも、そこで凄いなと思うのが、なんでバンドの解散インタビューってあんまりないんだろうと思ったらさ、みんな勝手に解散してっちゃうんだよね。最後に解散ライブだけやって終わりますみたいなことも多いし。ちゃんとこうやって話をしてくれたり、作品作ってそれを持ってツアーをまわるとかって、なかなかやらないよね。それをやる体力だったり気力だったりってすごいものなんだろうなって思う。
「俺は元太からバンド離れたいって言われたときに、結構スッと決めたんだよ。『ああ、きたか』って感じだった。別に咎めることもなく、『続けられないの?』って軽く提示はしたけど。元太は『他にメンバー入れてやるの考えてもいいんじゃない?』とか言うけど、それもなんか違うのかなって直感で思ってしまって。それで、閉めるっていう決断を、俺が下した。でも、半端に終わるの嫌だから、ツアーまわろうって。ほんとは、ありがとうございましたっていう気持ちも込めて1年かけてツアーまわりたかったんだけど、元太からの提案で7月頭までっていうことにした。あいつが誕生日を迎えるまでに自分の生活の基盤を作りたいっていうことだったので」
◆そうだったんだ。
「それで、昨年末にラストツアーの日程だけ全部決めて。だからライブハウスに電話する時に『実はですね……』って話もして。ほんとは1月1日に発表するつもりだったんだけど、俺の後輩が『元旦あけおめ、わーい!のあと夕方に(解散発表を)出すのって、重くないすか』って言って、『そうだな……3日にしよっか』つって」
◆それでも正月早々衝撃ニュースだったけどね。
「でもギリギリまでほとんど言わなくて。前日の夜に、近々の関係者とか、お世話になった人とかには『明日の昼には声明を出します』って知らせて。そこからやっぱり、色んなライブハウスとかバンドから『最後にうちでやろう』っていっぱい声かけてもらって」
◆めっちゃ忙しくなったでしょ。
「うん。出来る限りやれることはやりたいって思って」
◆で、5月24日から始まる「LAST TOUR 2013”Memory& Record”」は、ちゃんと気持ちをガッとひとつに集めてやると。
「そうね。まぁツアーまわるだけじゃ寂しいし、最後に一枚くらい作品作りたい、やっぱ出すって決めて。で、まぁどういう曲がふさわしいのかなって思って、『ああもうこれしかねぇな』っていう曲ができて。最後のツアーまわるときにギリギリ間に合いそうだなってところでレコーディングスタジオ押さえて。あの曲自体、二回くらいしかスタジオ入ってなくてね。もう『Discovery』のときと同じ脳内プリプロで、頭の中でアレンジしてた。それはでも12年やってきたバンドだからこそ、この自分の立ち位置だからこそできたことだと思うし。めちゃめちゃ良い曲できたなって思う」
◆「ラストソング」という曲では何を最後に歌うべきだと思ったの?
「ちゃんと光を当てたかったの、前に。まぁ、あの曲聴いてもらったら分かるんだけど、『何を言ったら良いのかな?いっぱいありすぎてわかんねぇや』って。でも、間違いなく言えることは、『君がいてほんとによかった』ってこと」
◆なんか、終わっていくバンドが最後に出す馬力みたいな楽曲って過去に結構聴いてきたけど。そういうのとちょっと違うよね。
「うん、すんごいナチュラル」
◆スッキリしてるよね。
「今回の作品が一番あったかいんじゃないかなって思う」
◆和奏くんの人柄や優しさが溢れてて。こういうところまで来たんだなと思ったし、終わるのもある意味納得出来るっていうか。みんなを幸せにする曲だよね。
「そうであって欲しいなーと思うし、なんかバンドとかさ、そういう表現者みたいなものってさ、最新の自分が最高の自分って、良く言うじゃん。そうであって欲しいなって思うんだけど、でもその時その時で受け取った人間の思い出と共に記憶に宿っていくんだよね。だから、最後のツアーでも『あの曲は自分が一番しんどいときに聴いたから、今でもあの曲が自分にとって一番嬉しい』とか、こっちもこの曲がやりたいとかってあるわけで。そういうジレンマはあるけど、でも今回の楽曲は本当に胸を張って、一番良い曲って純粋に言える」
◆そういう気負いっていうのは実際あったの?この曲ってメロディーメーカーとしてのひとつの集大成でしょ、「小田和奏節ここに極まれり!」みたいな(笑)。
「うん、節はめっちゃあると思う。だからメロとかは歌ってても気持ちがいいし、あと言葉との兼ね合いもちゃんとハマったなぁって。多分1日かかってないくらいで書いて、その時点でアレンジも見えてたし」
◆歌詞も、さっき「何を言ったら良いかわからない」って言ってたけど、私は和奏くんの書く歌詞って結構哲学だなぁって思ってて。
「そお?」
◆一番最初にそんな風に思ったのは「失くした言葉」だったんだけど。なんかそうやって考えていくと「ラストソング」は「失くした言葉」のアンサーソング的なところもあるのかなぁって思ったりしたんです。「失くした言葉」では”人である僕たちは その気持ちを分かち合えないまま”って言ってて。
「うん、そこが『失くした言葉』のキモ。それが歌いたいがために書いたようなもんだよね」
◆だけど今回の「ラストソング」では、”ただ、人の想いはどこか似てるんだ”って歌ってる。そういうひとつの答えが、見つかったのかなって。
「そうだね。まさに『ラストソング』のキモって二番の平歌の部分で。なんか、自分が歌うものに対象が出てきちゃうんだよね。年を追うごとにだんだん輪郭がくっきりと見えてきてて。やっぱ『人』のことを歌ってて、最初は自分ちとかで『こんな曲できたんだけど、どう?』で『めっちゃいいじゃん!』ってそれで始まってんのね。あの感じを呼び起こしたいなと思って。こういう感じの歌ったら喜んでくれんのかなとか、そういうちょっとしたイメージが、だんだん出来るようになってきて。気付いたらそれが歌う理由みたいになってて。生きることとか、いつか死っていうものが来るとか。でも新しく生まれてくるものもあって。バンドもそうなんだよ。解散するけど、方やどこかで5年後にすごい音楽を作るであろう新しいバンドが今日もどこかで生まれてるわけで。そういう輪廻みたいなものを感じて。だから、永遠はない。でも人を思い出したとき、その人は存在してて。そういう人の気持ちっていうのが一番永遠に近いものなんじゃないかなって思った。だから人の想いって言うのはどこかそういうものに似てんのかなって。こうやってバンドをやってきて、俺は何を掴めたのかなって考えて、同時に何をこぼしてきたのかなって。分かんないけど。時間は流れちゃうので。そこで2番が出てくるの。キモだよね」
◆そこはやっぱりNo Regret Lifeとして放つ最後のメッセージだよね。今まで出してきた曲も、ちゃんと覚えといてねって意味なのかもしれないし。
「最後のツアータイトルと最後のこの作品のタイトルが『Memory&Record』っていって、『記憶と記録』っていう。どっちが大事?どっちが大切?でも記憶を記録させていくことがミュージシャンだからさ。最後にとってもふさわしいかなと思って。レコーディングは、記録。でもライブは記憶が残る。そういうのもあるし。まぁ、そういう自分の哲学なのかもしれないね」
◆最後にこの作品が出来て本当に良かったし、みんなも聴けて良かったなって思うんじゃないかな。こんな風にダイレクトに、”いつの間にか 歌う理由はもう 君だった”って言えてて、結成当時に歌ってた気持ちとは今、全然違うところに立ってる。その辺はやっぱり、人としての変化が大きいよね。
「まぁねー。21歳の良くわかんないチンチロリンが33歳にもなったわけですから(笑)。大して変わってないような気もするけど」
◆で、また『ノクターン』ではゆったり優しく愛を歌うっていう。
「季節を巡る歌っていうのをいつか書きたかったんだよね。俺、めっちゃラブソング嫌いだったんよね。『愛してる』って言葉とか苦手やなって思ってて、普段そんな言葉なんて出さないじゃん。でもよくよく全部ひっくり返してみたら、自分の曲全部ラブソングでも良いのかなって思ったりして」
◆そこに素直になれたんだ。
「うん、なれたと思う。じゃないと書けなかったと思う。で、独立して以降の楽曲はさ、まぁ良くメジャー時代とかに『もうちょっとロックっぽい感じで〜』とか言われてて、じゃあ何なんロックって、とか思ってて。ずっとそこはストレスだったんだよね。ロックアレルギーだったと思うし。でも今はスッと、自分のどルーツってやっぱりクラシックの音楽だったりするから。バロックとか古典派とかさ。ほんとあの時期なんだよ。バッハ、ヘンデルからモーツァルトとかが俺の根幹なのかなって思うんだけど。なんかそういう流れるメロディ、綺麗な和音とか、そういうのが出来るっていうか、何も考えずに心のままに作ったって感じで」
◆実はクラシックが和奏くんのルーツっていうのも知らない人は知らないわけで。だけどロックバンドとしてのイメージみたいなものからも今は解放されて。「最後だから3人でバッキバキの今を届けます!」とかっていうのともちょっと違ってて。
「バッキバキの方が良かったかな(笑)」
◆和奏くんの人としての成長が、No Regret Lifeっていうバンドに収まり切らなくなったっていうのが今なのかもしれないしね。なんかそういうのが聴こえてくるから、納得いくようなところもあったりするんだよね。
「つまり、自然よね、今。バンド結成当初なんてさ、よく分かんないわけよ。ここのアレンジがどうとか。でも『こういう感じだったら良いね』とかいって何となくやるのが最初で。1回そういうプロフェッショナルな人間とチーム組んでやるっていうのは無駄じゃなくて。そこを今度は自分の気持ちありのままにそれを落とし込んで、作っていったりするわけで。そこが多分今回一番自然だったと思う。モダンな作品だけど」
◆「Don’t Stop The Music」も「Revival with 斎藤ネコ」として新録で入っています。
「これは、最初は独立するときに、やっぱその手前2年くらいで音源をドロップできてなくて。でも音楽は止まんねぇんだっていうのを言いたかった曲」
◆でも今回のは更に、確信として歌えてるというか。「続いていくんだよ」っていう想いが、なんかまたそのときとは違う感じで聴こえてきた。
「うん、ちょっと『ラストソング』と近しいものがあったと思うんだけど。プラス、(「Don’t Stop The Music」が収録されている)『Magical Destiny e.p.』がもう作ったもの全部、売り切れちゃってて。でもあの曲やると反応もすごくあるんだよね。しかもネコさんとやったテイクがまだ残っててさ、ライブRecで。それがまた良くて、『これバイオリン入れて録りたいな』と思って今回はリバイバル。自らリバイバルって言ってるこの、図太さなんなの、みたいな(笑)」
◆そして最後は「Memory&Record」という名のインストで終わるという。
「そう。これは、俺んちのイメージなんだよ。鹿児島時代の俺んち。アコギとか、家でずっとガシャガシャやりながら『次のライブはもっと楽しいかな』とか『感動させてぇな』とか思って、最初に夜な夜な作ってる感じに戻りたかった。だから『Don’t Stop The Music』の最後に扉が閉まる音があってアコギだけになるんだけど、あれが一見さ、夢から現実に覚めた瞬間みたいなイメージなの。このバンドをやってて、自分の大好きなバイオリンと戯れてて、でもいきなりパンッて夢が覚めたら自分ひとりになってたっていう。で、最後に記録と記憶を辿る旅、みたいな締めで。それであのインストなの。めっちゃ綺麗な曲でしょ?」
◆うん。なんか、上手くまとめすぎで悔しいくらい(笑)。でもさ、結局最後はドロッドロに泣いて終わるんでしょ?綺麗に終われないでしょ(笑)。
「大丈夫。この前、夢子会で思いがけずにそのシーンはもう来たから、もう泣かねぇと思う。でもジタバタすんのかね、『やっぱ解散しとうない』とか。まぁでも、あっという間に気付いたら終わってるくらいが一番良い」
◆最後まで駆け抜けたい?
「うん。これは良く周りですげぇ寂しい顔してるやつに言うんだけど、次の俺のバンドめっちゃかっこよかったらどうする?って感じ。それがでも希望だよね」
◆じゃあ実際にノーリグがなくなったときの自分っていうのを想像したらさ……。
「わかんないもん」
◆怖いから、準備し始めてたりするんじゃない?先回りして。
「まぁそれもあると思う。止めたくないっていうのはあるから。でも、今、俺が手放そうとしてるものって一番守りたかったものなの。で、俺は一番このバンドを、愛してますよね。だし、ずっと大事にしてきたものだよね。きっと手放そうとしてるものってそういうものなんだと思う。だから最後に自分にも落としどころと、意味合いもつけて、しかも『俺、終わんねぇよ?』みたいな。そういうエッセンスも加えながら。でも一個ちゃんと、物語は終わらせる、と。いいじゃん、しょうがないじゃん。俺ロマンチストだから」
◆そうだね。ちゃんと、聴いてくれる人たちにも感謝と、あと安心感を与えながら解散していくんだなっていうのはすごい感じた。
「終わるってなったときにさ、みんな『やっぱ観とけば良かった』って言うじゃん。でも、もうその言葉も聞きたくないんですよ、正直なところ。だからこそ、もう半年前にラストツアーの発表してさ。1回でも機会を作れたらって思うし。だから『観とけばよかった』はナシねって。俺らも最後まわるしさ。ちゃんとやるよ?って」
◆ちゃんと、会いたい人は会って終わりましょうっていう。
「で、ここから初めて観る人とかも、どう思うのかなって。あと俺たちは作品に記録を残してきてるわけだから、記録を遡る旅だってできるわけさ。だから、まだまだ出会いたいなって思うし、観て欲しいなって思うし、変にそこにノスタルジーにならないで欲しいなって思う。ただでもほんとに、今日っていう日は1回しかなくて、元に戻れないわけで、だからその日その日をしっかりとやりたいし、ちゃんと終わりが来るし。だからやっぱり、観たいものは思うままに観て欲しいなって思う。それがラストツアーのメッセージかなって思う」
◆でも強くなったよ、そういう意味では。だってそんなの一番苦手なタイプじゃん。
「あはは(笑)、そうだね」
そして、これからのこと。
「今までずっとバンドマンでいたいなぁって思ってたんだけど、これからはおこがましいけど、音楽家でいようって思った。音楽に携わる人間として、ずっと生きていきたいなっていうのを、今回の解散を機に思った」
◆ではそういう気持ちで最後のツアーをまわると。
「まぁ、めっちゃ楽しくやりたいなって。いつもツアー始まるときに思うんだけど、事故もなく、無事に終わりたいです(笑)」
◆いつも言ってるよね(笑)。
「ほんとにそうだから。そんだけ」
◆そうですか。私もすごく寂しいですが。
「寂しいですか。なんか今日、ミキティと何喋ろうかなとか思ってたんですけど、意外にいっぱい喋ったなと思いながら。あのね、何年か前かなぁ、すごい感銘を受けた曲のフレーズがあって。俺はもうずっとそうでいようって思った曲があるんだけど。それがKANさんの『Songwriter』って曲なのね。KANさんってすごくお茶目な人で、ライブも観に行ったことあるんだけど。その『Songwriter』の最後のくだりが、”I am songwriter ピアノをたたき 繰り返す表現のみが唯一存在の意義です”って言ってさ。俺はもうそのくだりにやられちゃってさ。で最後はラララララ〜って歌って、”こんなメロディはどう”って終わるんだけど。俺は、これは人の言葉だけど、唯一の存在意義が繰り返す表現のみで、最初に言ったルーティンワークに苦しめられながら、でも音楽をやってる人とか表現をする人って常にそれでしかなくて。もっと言うと人間ってもうルーティンワークの中に生きてる。でもその中に歓びを見つけて生きてるわけじゃん。『これが美味しかったな』とか『誰とどこ行って楽しかったな』とか。でもこのルーティンワークが、自分の存在意義だよなって。今までずっとバンドマンでいたいなって思ってたんだけど、これからは、おこがましいけど、音楽家でいようって思った。音楽に携わる人間として、ずっと生きていきたいなっていうのを、今回の解散を機に思った。まさに自分に誓うというかさ」
◆それはバンドを通じて得られた気持ち?
「うん、そうだね。俺はこれからずっと音楽家でいるために存在できたらなって思ってます」
(2013年4月 11日)