死ぬこと、生きること。
息子のなかで今、「死」が来ている。夜の寝かしつけに手こずる日に限って、それはやってくる。いつも寝床に入ってから今日いちにちのことだけでなく、息子が語るがままに、二人で話をしている。ある程度時間が経った時に「はい、お話はこれでおしまい。寝ようね。今日も元気でありがとう。おやすみ」と伝えると、諦めて静かになり、あくびの吐息が聞こえ、少し経つと安らかな寝息が響いてくる。
それがままならないとき、しばらく頑張って黙ったあとに「かーかー、あのね」と話が始まる。少しだけ付き合ってやって、また「おしまい」と伝えるが、なかなかあくびも寝息も聞こえない。そんな夜に、その質問はやってくる。「かーかー、おーじーじは死んじゃったの? なんで死んじゃったの? ●●(息子の名前)も死ぬの? 死んだらもうみんなに会えないの?」質問が止まらない。
おーじーじは死んじゃったよ。たくさん、ながーい時間めいっぱい生きて、体の役目が終わって、死んじゃったんだよ。みんな必ず死ぬんだよ。そう伝えると、「かーかーも死んじゃうの? ●●は死にたくないよ」。その言葉に胸がキュッとなる。4歳の子どもの死を考えたい親なんかいない。君はまだまだこれからの人。そして、君の成長をみたいから、お母さんだって、まだ死ねないよ。こんな夜が訪れるたびに、そんなことを思って、息子を撫でながら、元気でありますようにと願ってやまない。
死ぬってなんだろう。生きるってなんだろう。生き生きと生きること、悔いなく死ぬこと。表裏一体なんだな、とこの歳になってしみじみと思うことが増えた。今月新盆を迎えるので、墓前にしっかり手を合わせて来たいと思う。
また、8月がきた。
昨年の今頃、私はその日がやってくることを指折り数えて、まるで子供が誕生日やクリスマスを待ちかねているように、日々を生きていた。昨年8月17日に千葉マリンスタジアムでおこなわれたELLEGARDENのライブ、その日である。そしてその日のことは、この連載(のプロフィール欄)でもチケットの申し込みから当選までを月ごとに記録させてもらっていて、ライブ観戦が叶った暁には当然この連載でもレポートを書くつもりでいた。が、書けなかった。少し経って冷静になってから書こうと思っても、結局書けなかった。なんでだったんだろう、と、今でも時々考えている。
ライブは素晴らしくて、その前年にでていたアルバムも、レコードやテープだったら擦り切れているだろうほど繰り返し聴いた。だってアルバムは16年待っていたし、ライブだって私はその前のイベントなどに全然いけなかったので結局17年越しとなった。幕張についてもこれから彼らのライブがまた見られるなんてまだ信じられなくて、でもスタジアムまでの道すがらで過去のTシャツを着ているもう若くない(同い年かちょい上くらい)の人たちを見かけるたびに、じわじわと実感が生まれてきていた。グッズを買うつもりはなかったけど、結局雰囲気にのまれてTシャツを買い、着替え、走り出したいような、ゆっくり遠くから眺めていたいような、どっちつかずの気持ちを抱えて、一人で、自分の整理番号の入り口に向かった。
ELLEGARDENの全盛期、というのか、活動休止前というのか、その当時私は大阪の大学生で、大阪も神戸も、時々香川の会場にも、かならず友達と行っていた。行きも帰りも一人じゃなくて、想いを共有しあう仲間がいた。その私は38になっていて、バンドメンバーもアラフィフになっていて、その間にわたしは社会人になって、転職もして、結婚して、子供が生まれたし、メンバーも各々の活動を重ね、ライフステージの変化もあっただろう。ELLEGARDENの活動休止後にボーカルの細美さんが組んだバンドはthe HIATUSもMONOEYESも聴いているし、ライブにも行っていた。バンドもファンも、それぞれの時間を過ごして、今を迎えている。
開演までのあいだ、そんなあたりまえのことを、しみじみと考えていた。待ち望んでいた瞬間を迎え、音を聴いて、声を聴いて、どの曲でもシンガロングできるほど体が覚えていたし、喜びとか全部超えて全曲通して泣けるくらい心が喜んでいた。でも、どこか冷静な自分が消えず、なんとなく帰宅時間を逆算して夫は子供を寝かせてくれるだろうかとか考える自分がいた。そんな私の横を、頭から水を浴びたように汗でぐしょぐしょになった若者が前方に走り抜けていく。盛り上がる瞬間に合わせて人の波を泳ぐダイバー達。みんな超笑顔で、ぼんぼん飛んでいっていた。懐かしい…バンドは私が大学生の時に止まって、活動再開だってそれから10年後だったはずなのに、なんで当時の自分たちくらいの若者の心をつかんでんの? すげえな、と感激しつつ、若者達の眩しい姿を目を細めて見ていた。そして、バンドが止まっていた時間にもメンバーそれぞれが着実に進んでいたことがわかるくらい、魂が変わらなくても、音楽も人柄もどっしりと重くなり、安定感を持っていた。みんな、時間の分だけ大人になったのだ。
前方には行かないし、飲み物持っておきたいし、着いたのが遅くてコインロッカーが閉まっていて、クロークに預けるほどの荷物もない、預けたら帰りが遅くなる…などうだうだ考えて荷物を預けなかった私は、トートバッグを肩にかけたまま過ごしていた。その横を軽やかに駆け抜けていく当然手ぶらな、ずぶ濡れの若者達。ああ、私も、大人になったんだな、と実感せずにいられない瞬間だった。それはべつに悲しくも残念でもなく、ただ事実としてそこにあった。それを受け入れたのが、自分にとってなによりも、書けなかった理由なんだと思う。その日を迎えるまでは、きっと行ったら大泣きして、全部に心が奪われて、その晩眠れないくらいアドレナリンが大爆発して、すごいことになっちゃうんじゃないか、と思っていた。でも私は、仕事を終えて、子どものお迎えは夫に頼んで、ギリギリに会場入りして、38歳の自分を噛み締めて、大風が吹いていなかったので特に遅れもしなかった京葉線に乗り、ディズニー帰りの若者に紛れながら、子ども(と夫)の待つ家に寄り道もせず帰った。
20代の頃、すごくいいライブを観たあとはせっかく身に纏えたきらきらしたものが落ちてしまいそうなのがもったいなくて、10kmくらいある道のりを歩いて帰ったりしていたけれど、ちゃんと電車に乗って、最寄駅まで帰ってきた。セブンイレブンに寄ったら、レジ待ちの列で私の前に並んで、缶ビールとザーサイが入ったおつまみを買った女性が、その日から発売になったTシャツを着ていた。ああ、こんな身近に、仲間がいましたか、とちょっと嬉しくなった。そうして私にとって、17年間待ち望んでいた特別な1日が終わった。
1年経って、やっと自分に起きた変化を言葉にすることができた。書くことができなかったのは、書いてしまうともう自分には20代の頃のように楽しむ資格がなくなってしまうような気がして、ちょっと怖かったんだと思う。音楽の嗜好も、生活も変化して、なんか、手放さなきゃいけないような気がしていたのかもしれない。全然まったくそんな必要ないのに。また、今の私で今の楽しみ方で楽しめればいい、そう思う。今年も羨ましがっていたらフジロックが終わっていたので、子供が私と遊んでくれるうちに一緒に行ってみたいと思う。とりあえず今年は、すこしでも過ごしやすい日を逃さずに外に出て、じゃぶじゃぶ池とかプールとかで夏を楽しませてあげたい。全国の夏休みの親御さん達にエールを…。
プールの日の荷物は、こう。
いとうさわこ●都内に住むパラレルワーカー(おかん業含む)です。今年、ほんっとに暑いですね。去年も思ったけど、今年はもっと酷い。先日昼間に外出した時に今日は涼しいなと思って気温を見てみたら32度でした。どないなっとんねん。心なしか救急車や消防車の出動も増えているように感じます。みなさん、ほんと水分と塩分の補給しっかり気をつけましょうね。約束だよ!