連日、新型コロナウイルスによる感染のニュースで不安な日々が続いていますね。イベントやライブも感染・拡大の防止で、中止・延期が余儀なくされています。中央競馬も2月29日(土)から、当分の間無観客でレースを実施することを発表。健康、身の安全が最優先とはいえ、何ともやるせない気持ちになりました。特に、29日には引退する騎手、3月1日(日)には、引退する調教師の先生、そしてこの日デビューの新人騎手がいたからです。いつもなら、多くの観客に見守られながらの引退の日、そして、多くの声援に背中を押されながらのデビュー戦なのだけれど…。それでも、こんな状況に、コロナウイルスに負けてはいられないという気概と、いつもと変わらない平常心で素晴らしいレースで魅せてくれた騎手、馬たちの姿に熱くなった週末でした。
2月29日付で29年の騎手人生を終えた四位洋文(しい ひろふみ)騎手。JRA通算1586勝(G1 15勝、重賞76勝含む)。四位騎手といえば、日本ダービー(2007年)で、紅一点・牝馬のウオッカを優勝に導いた方。牝馬が日本ダービーを勝ったのは、64年ぶりの快挙だと話題になったので、ご存じの方もいらっしゃるのではないだろうか。晴天の府中競馬場の、直線残り400mあたりから、馬群を抜け出し、大きなスライドで颯爽と駆け上がってくるウオッカと四位騎手の姿は今でも鮮明に焼きついている。ウオッカを応援していたこともあり、あのときの興奮は今でも忘れられない。まさに、人馬一体。
四位騎手は、翌年(2008年)の日本ダービーも、ディープスカイで優勝。日本ダービー連覇の偉業は、武豊騎手と四位騎手だけが持つ記録なのだそう。私にとっての四位騎手は、友人が応援していたこともあり、競馬を始める前から注目していた騎手のひとり。何といっても、その友人の付き添いで、アグネスデジタルで出走した、香港のクイーンエリザベス2世カップ(2002年)を現地観戦したほど。なぜか、私が競馬場で応援している様子が日本のテレビで放送されていたらしく、「付き添いで行ったんです!」と言ってもまったく信じてもらえなかったのも今ではいい思い出だ(笑)。
▽牝馬ウオッカが日本ダービーを制した歴史的な瞬間
現役の騎手も憧れていたという、美しい騎乗フォームと豪快に追い込む姿には、いつもほれぼれとさせられた。時には、馬場のコンディションや走る距離のロスを気にすることなく、大外から攻めることができるのは馬の能力を信じているからこそ。「馬を感じろ」。四位騎手はいつも後輩騎手にそう言っていたという。一頭一頭違う馬の性格、個性。レース当日のパートナーの体調や気持ちに寄り添いながら、いかに気分よく走らせ結果を出すことができるか。「その馬のことを目一杯感じて、後々悪影響が出ないようなレースをすることも大事だし、馬場入りからの行儀もしっかり教えていかないといけない」ともインタビューで話していた。
また、走る意欲を促したりスパートの合図だったりする鞭を、はじめてレースに臨むとき(新馬戦)には、使用しないようにしていると聞いたこともある。叩かれたことがトラウマになって走ることを嫌いになってほしくないという想いからだ。馬を、その場限りではなく、将来につながる、馬の生きる道を見据えて教えていくことができれば、引退後も種牡馬だけでなく、乗馬としても道は開かれるだろう。実際、現役引退後の馬を、四位騎手が仲介して、鹿児島県の乗馬クラブで引き取っているというエピソードにも、馬第一主義のお人柄がうかがえる。四位騎手は、パドックで馬にまたがると、必ず、馬の首をポンポンとする。「今日もよろしくね」と言っているのだろうか。「お馬さん」と呼ぶ、茶目っ気のあるところも大好きだ。
四位騎手には、女性ファンもさることながら、男性ファンが多かったのではないだろうか。パドックでは、「おっ、四位。男前やな」という男性の声をよく耳にした。鹿児島県出身の薩摩隼人、彫りの深いマスクも、男性が憧れる顔なのかもしれない。無観客で迎えた引退の日。レース終了後に予定されていた引退セレモニーは、後日、観客の前で行ってはどうかと打診があったそうだが、四位騎手のご意向で、予定通り行われることになった。四位さんらしいと思った。だからだろうか、「四位さんに寂しい思いはさせない」と、送り出す騎手たちの背中から、そんな想いを強烈に感じた。この日、6鞍に騎乗する四位騎手は、初戦の3レースで見事優勝。ハンメルフェストとともに1着でゴールした瞬間、池添騎手、酒井騎手たちの歓声が上がった。いつもならファンが見守っているゴール前を陣取り、応援していたのだ。そして、勝った馬との写真撮影には、同じレースに騎乗していた古川騎手や幸騎手、そして関東の名手・横山典弘騎手も笑顔で口取り写真に参加していた。それは今まで見たことがないほどとてもレアで、微笑ましい光景だった。ファンが入れない分、騎手仲間が盛り上げ、スポーツ記者やカメラマンがその様子を懸命に伝えよう、届けようと奮闘してくれた。
最終レース終了後の引退セレモニーでは、(騎手会長の武豊騎手はサウジアラビア国際競走のため不在だったが)騎手全員が、この日のための四位騎手オリジナルTシャツ&キャップで参加し、セレモニーに華を添えた。四位騎手がどれだけ慕われていたかが一目瞭然の、素晴らしい光景だった。騎手人生を振り返り、騎手仲間、関係者、ファンに感謝の想いを語る四位騎手の様子は、とても晴れ晴れとしていた。騎手引退が、実感として湧いてくるのは、まだ先のことなのかもしれないが、柔らかい笑顔でまっすぐに前を向いていた。翌日からは、調教師としてのスタート。まずは、関西の千田輝彦厩舎、関東の名門・藤沢和雄厩舎で、技術調教師として1年間修業し、来年の3月の厩舎開業に備える。
先述のウオッカが昨年4月に急死したとき、“恩人”と表現していた四位騎手。「ウオッカは、僕のなかの大切な大切な引き出しのひとつであり、これからも恩人としてずっと心のなかに残っていく」と。多くの馬とレースに臨み体得してきた財産を携えて、“馬を大事にする厩舎”を目指す。今から、楽しみでしかない。四位騎手の引退を報じるキャスター、記者、解説者の方々が、それぞれの四位騎手との思い出を、涙をこらえながら熱く語っておられる様子にもらい泣きの1日だった。華があって本当にかっこいい騎手だった。四位洋文騎手、お疲れ様でした。そしてありがとうございました。来年、またウイナーズサークルで、優勝馬を管理するトレーナーとして、会える日を楽しみに待っている。そして、この不安な状況が一日も早く収束しますように。
shino muramoto●京都市在住。現在は校閲をしたり文章を書いたり。2月には地球三兄弟のアコースティックライブへ。Oしゃんこと、民生さんはスパ de SKYことYO-KINGとミルクボーイネタではしゃいだり、存在感たっぷり! THE EARTHこと桜井さんの、デビュー直後のミスチル桜井さんとの共演話。「両方桜井だね」と肩を組んで先輩風を吹かせていたことをKINGに暴露され、今やすごい人気者のミスチル桜井さんに、どうかそのときのことを忘れていてほしいと願う桜井さんが可愛すぎました。