2019年も早いもので、あと3か月半になりました。個人的には、食べ物がおいしくて、過ごしやすい、この季節が大好き。今年は久々に芋掘りや梨狩りに行きたいと思っています。
先日、8月3日、大阪・森ノ宮ピロティホールで行われた舞台『美しく青く』を観てきました。作・演出は、役者として出演もしている赤堀雅秋さん、主演は向井理さん。東京公演(7月11日~28日)を経て、大阪公演(8月1日~3日)の最終日、大千穐楽でした。物語の舞台は、海と山に囲まれた町。この小さな集落には野生の猿が現れ、作物を狙って畑を荒らしたり人を襲ったりして住民を脅かしていたため、町の男たちが自警団を結成してパトロールをしていた。自警団は、リーダー・保(向井理)、保の同級生・勝(大東駿介)、町の男たち、役所に勤める茂(大倉孝二)が加わり、活動後は、夫婦(赤堀雅秋・秋山菜津子)の営む居酒屋で、飲み会を開き愚痴をこぼしていた。保は、妻の直子(田中麗奈)と、認知症を患い、時々町を徘徊している義母(銀粉蝶)と暮らしている。本来なら、娘もいるはずだった。8年前この町を襲った震災で、今も行方不明のままだ。そんな悲しい現実とやりきれない心の闇を抱えながら、今を生きている。もがきながら、ただ、ひたすら前を向こうとしている。
向井さんは、赤堀監督の作品のファンだったのだという。自分が出演することは考えていなかったそうで、舞台上の役者が傷つき、傷つけ合う赤堀作品に、自ら飛び込むことを「修行」だと口にしていた。しかし、赤堀作品は今回も重いテーマでありながら、それだけでは終わらない。何といっても、大倉孝二さんの存在感は格別だった。みなさんにも想像していただけるのではないかと思う。映画やドラマで見せる、あの曲者ぶりを。舞台に大倉さんが現れると、それだけで面白いのだ。何というか、独特のオーラがあって、さらに彼が口を開くと、その口調や表情、仕草に、あちこちから笑いが起こる。これほどまでに観客を惹き付ける技量はさすがだった。
また、劇中、突然節子に「目が小さい!」とつっこまれた稔(森優作)と勝の妹・美紀(横山由依)、アパートの大家・片岡(平田満)と居酒屋の順子(秋山)のロマンス的なエッセンスも散りばめられ、役者一人ひとりがとても魅力的に描かれていたのが印象的だった。一方、保役の向井さんは、シリアスなシーンを一人で背負っていたように見えた。主役に課せられた使命だったのだろうか。自警団の活動では、猿とのいたちごっこや非協力な片岡に対していら立ちを露わにする。家庭では、少し感情的になっている直子を見て見ぬふり、直子が抱えている不安や悩みも、どこか他人事のように見えた。日々懸命に生きようとするが、空回りをしているような、自分自身にいら立っているような演技に、観ている方も胸がヒリヒリした。
そして、ついにその時がやってきた。片岡の家に入り込んだ猿との対峙。自警団のリーダーとして猿を仕留めることだけを考えてきた保だが、いざ、目の当たりにしたら銃を撃つことができなかった。猿が命乞いをしたかのように手を合わせたのだという。結局、「引き金を引いたのは俺だ」と勝が保への怒りを爆発させる。まるで自分が仕留めたかのような振る舞い。いつもいいところだけを持っていく、そんなしたたかさも、同級生ゆえ目に余ったのだろう。大東さんの、それはとても迫真の演技で、ただ殴られるがままの保がとても小さく見えた。その後、保が絞り出した「俺は一体何と戦っているんだ」。この言葉を発したことで、本来の保が目を覚ましたのかもしれない。
物語はさらに佳境を迎える。圧巻だったのは、片岡と節子のシーンだった。家から居なくなったとみんなで探していた節子がふいに現れる。きれいに着飾ったその姿に、認知症が進んでいることがうかがえる。「あら、片岡さん、お元気?」と本人は自分が探されていることなど知る由もなく、笑顔で、しばし片岡と昔話に花を咲かせる。節子の記憶は、何十年か前に戻っていて、二人の行きつけだった飲み屋のママに声をかけられた時、すっぴんだったので誰だかわからなかったとかそんな他愛もない話を無邪気に話し笑っている。人は、自分が輝いていた時、楽しかった、嬉しかった時のことを宝物のようにいつまでも心に留めているものだ。時にそれを思い出して愛でて何度も味わう。
記憶を失っていく節子だが、このころの記憶だけはしっかりと留めているのだろう。同じ話をまた一から延々と繰り返す。そんな節子を思わず抱きしめる片岡。悲しい出来事があっても、連れ合いを亡くしても、それもかけがえのない愛おしい人生。この町で、長い年月を過ごしてきた二人の歴史が、バックボーンが見えたような気がして感極まった。平田満さんと銀粉蝶さんの、魂と魂が共鳴し合うような深くて豊かな演技を目の当たりにして、感極まって涙したのは私たち観客だけではなかった。二人のやり取りを、じっと見ているはずの向井さんが、この日は、下を向いていた。そう、気づかれないようにひっそりと泣いていたのだ。それは、出演者全員で作り上げてきた『美しく青く』が、ついにラストの瞬間を迎えることを意識せずにはいられない涙だった。
最終幕。変わることなく紡がれている日々、保夫妻が海辺に現れる。真っ白なワンピース姿の直子のおなかには、新しい命が宿っていることを感じさせる、穏やかなラストシーンだった。閉幕を告げる一瞬の暗転。そして再び舞台が照らされた時、向井さんは、思わず目に手を当てた。目を手で覆ったまま、ゆっくりと、少し危なっかしい足取りでセットの階段を下りてくる姿に涙が止まらなかった。観客は、そんな向井さんをスタンディングオベーションで迎えた。そして会場のあちこちから聞こえる「ブラボー!」の声。この光景を何と表現したらいいのだろう。まるで、会場が揺れているんじゃないかと思うほどの沸き立つ拍手と大歓声だった。
向井さんは、少し驚いて胸をトントンと押さえながら、目に涙を潤ませて安堵の表情を見せる。穏やかで清々しくて、何ともいい顔だ。そして役者さんたちが揃うのを待って、深々とお辞儀をした。多忙なスケジュールのなか、「“やりたい”というより“やらなくちゃいけない”」と自分を追い込んで舞台に挑んできたのも、すべてこの景色をみるためだったのだと思う。素晴らしい作品だった。拍手はいつまでも鳴りやまず、この日は4回ものカーテンコールに応えてくれた。目の前には、素の向井さんがいる。そっと役者さんを気遣いながら、穏やかにはにかんで笑っている。その静かで控え目な佇まいこそが、向井理なのだと思う。
shino muramoto●京都市在住。雑誌編集・放送局広報を経て、現在はWeb校正をしたり文章を書いたり。先日、妹の家にワンコがやってきました。ウェスティの男の子です。一見、真っ白いモフモフの天使なのですが、実はやんちゃないたずらっ子。まるでホワイトライオンのよう(笑)。まだ赤ちゃんなので、はしゃいで遊んでいると思えば寝落ちしていたり、急に飛び跳ねたり。予測不能の動きが可愛くてメロメロです。