《枝折(しおり)とは、道しるべ、手引きという意味です。私の人生は、常に「本」が伴走してくれています。けっして、道に迷わぬよう。今回の連載より、自分の人生に影響を与えてくれた本の紹介と人生のエピソードをエッセイとして書いていきます。》
■平野啓一郎『ある男』(文藝春秋)
全作品、網羅するぞ! と決めている作家は何人いますか?
私はだいぶ少なってしまったけれど、「平野啓一郎」だけは、必死になって、エッセイも小説も追っかけるようにしている。なぜ、必死かというとやっぱり難しいからだ。自分の知識をフルに刺激しながら読む。まさに、読書の醍醐味を感じながら。
あらすじを紹介しよう。主人公弁護士の城戸のもとに、以前、離婚調停の仕事を引き受けたことのある里枝から「ある男」についての奇妙な相談を受ける。 離婚成立後、再婚を果たし子供も設け、幸せな生活もつかの間、その再婚相手の男性が事故で死亡してしまう。
悲しみに暮れる彼女だったが、そこで新たな問題が発覚する。「大祐」と名乗っていた、その再婚相手は全くの別人だったというのだ。
一体、夫は何者だったのか? を巡る物語である。
この物語の重要な一文を引用する。
「愛にとって、過去は必要なのだろうか」
里枝は自問し、弁護士の城戸は真実を見つけだしていく。
人生のどこかで、まったく別人として生き直す願望は誰にもあるのではないか? この物語の「ある男」のように。
私は、2年前に淡路島へ移住した。当たり前だか37年間の人生を知る人は誰も居なかった。人生のリセットボタンを押せる! と思った。全く、別の『私』が作れるような気がした。東京での暮らしが全て嫌だったわけじゃないが、ここにいたら想像できる範囲の人生しか過ごせない気がした。現実は、小説のように上手くはいかず、素が出てしまう日々を送っているけれど。
この本のテーマに戻す。「愛にとって、過去は必要なのだろうか。」その問いに、私の夫はきっと必要と言うだろう。結婚する時、仲人さんに提出する身上書を作成しなければいけなかった。嬉々として作り上げ、私の分もヒアリングを重ね作ってくれた。この話をすると友人は揃って引くのだか、夫は身上書を元に幼稚園〜職場まで全て回って歩いたのだ。ブラタモリが大好きな夫だから、普段から散歩好きなのだが、東京まで行き一人でフムフムと見てきたという報告になんとも言えぬ愛情を感じた。これから「未来」を共に作っていく相手の「過去」を知ることも愛なのではないかとこのエピソードを思い出してしまった。
近年の平野啓一郎作品のテーマは、『私とは何か?』であるとファンとしては思っている。
分人主義を提言されていて、簡単に説明すると、人間にはいくつもの顔があり、相手次第で自然と様々な自分になる。その一つ一つを“分人”と言う。「あっ、この人といると楽しい! 嬉しい!」という自分になれる時間を多く作ることが大事で、ストレスがかかっている環境時の顔の自分が全てでは無いと思える。この分人主義の思考を身につけると生きていくのがラクになる。
「ある男」も、色々な顔があった。戸籍や名前、年齢、職場だけではわからない。触れ合った、他者の記憶の中にそれぞれに『私』が存在するのだ。その分人の記憶が素敵だったら「ある男」の偽りも時間が経てば許せる気がしてきた。
久々に愛や許しについて考える時間を、与えてくれた一冊。読書の秋にぜひ読んで頂けたら。
上村祐子●1979年東京都品川区生まれ。元書店員。2016年、結婚を機に兵庫県淡路島に移住。