先日、4年間勤めた会社の契約を終了しました。開いていただいた送別会で、ある人がこう言ってくれました。「よく、その人の存在の大きさはいなくなってからわかるというけれど、今もうすでに寂しいです」と。その言葉がとてもありがたくて、穏やかで魅力的な人たちに囲まれて居心地のいい職場だったなぁと、感謝の想いしかありません。
当たり前のように存在している世界に、自分が居なくなったら…。そんな自分の居ない世界を想像したことはありますか?
少し前になりますが、2月に観た映画『blank13』は自分がいなくなった世界を想像させてくれる作品でした。放送作家・はしもとこうじさんの実話をもとに、俳優の斎藤工さんが「齊藤工」監督として初の長編映画に挑んだもの。
母(神野三鈴)と兄(斎藤工)見舞いを拒否したが、コウジ(高橋一生)は子供の頃キャッチボールをしてくれた優しい父を思い、入院先を訪ねる。
しかし金を工面している父の姿に失望し、家族の溝は埋まらないまま、父はこの世を去った。
葬式に参列するのは、数少ない友人たち。
彼らが語る父のエピソードによってコウジは家族の誰も知らなかった父の真実を知り、
13年間の空白が少しずつ埋まっていく……。
(公式HPから)
映画を観ながら、リリーさん演じる父の姿を、亡くなった父に重ねてみたり別の誰かのことを想ったり。また自分だったら…と想像したり。一人ひとりの生きた時間にはさまざまな人との出会いがあり、多くの人の人生が行き交っていること。また、人と関わることでさまざまな顔を持っていることに改めて気づかされました。全体を通して印象的だったのは、コウジを演じる高橋一生さんの表情。病院の屋上で父と13年ぶりの再会、サオリ(松岡茉優)と病室を見舞うシーン。ただそこにいるだけで、戸惑いだったり物悲しさだったり、言葉にはできない心の奥のひだが見え隠れするような表情から、言葉はなくても伝わり響くものがありました。
この作品は「映画を撮る機会は最初で最後だろう」と齊藤監督自らが大好きな人たちに声をかけて集まってもらったものだそうで、個性豊かなお笑い芸人の方々が多数出演し存在感たっぷりにスクリーンを彩っていました。大阪・ステーションシネマでの舞台挨拶に登壇した一生さんは、映画の後半部分、佐藤二朗さん演じる男をはじめ、見るからに変わった参列者たちが生前の父を語る葬儀のシーンは、ほとんどがアドリブで何が飛び出すかわからない状況に本気でヒヤヒヤしていたのだそうです。
途中、カメラには映っていないけれど、兄である監督の顔をちらっと見たと告白。また少ない出演シーンなのに強烈な印象を残したくっきー(野生爆弾)が、「(毎回違う演技をするので)次は何をやってくるんだろうとある意味で恐怖だった」と、笑いをこらえるのが大変だったとも。
また、東京での舞台挨拶では齊藤監督と母親役の神野さんからこんなエピソードが語られたそうです。葬儀には参列しなかった母親が、家の窓際に立ち夫を偲んで13年前に残していった煙草を吸うシーンで、セットなので風もないはずなのに、火をつけて窓の外に吐き出した煙が何度やっても家のなかに入ってきたのだそう。まるで亡くなった夫が家に帰ってきたかのようで、思わず「お帰り」と言ったのだと。
参列者たち、そして家族が思い思いに父のことを見送る様子は、さまざまな感情を越えて、そこにいる人たち、空間、すべてひっくるめて愛おしい。そして、私も、誰かの心に留まるような存在でいたいと願わずにはいられませんでした。そして、エンドロールには、公式のTwitterで「この映画のコアになっている」と監督が言っていた笹川美和さんの歌う「家族の風景」。
〈どこにでもあるような/家族の風景〉。映画の余韻とともに、その言葉がじんわりと心に広がってくる。ありふれた家族の風景だけど、いつも失くしてしまってからその大きさに気づくのだ。それは当たり前ではないんだよって、宝物のような時間なんだよって、当時の私やすべての人に伝えられるものなら伝えたい。監督・齊藤工さんの静かな佇まい、作品にそこはかとなく漂う空気や余白(これはもしかしたら意図したblankなのかもしれません。)と沸々と湧きあがる熱い想いが詰め込まれた『blank13』を笹川さんの歌がすべて包み込むような、そんなあたたかい気持ちになる作品でした。
そして、映画から3か月後の5月に大阪・心斎橋JANUSで笹川さんのライブを観ることができました。ライブは楽曲と楽曲の合間から溢れこぼれてくる人柄が垣間見えるのが醍醐味。“和”を感じさせるたおやかで聡明な歌からは想像できないくらい、絶妙な間で会場を魅了する楽しいMC。華奢で儚げなイメージとはうらはらにどこかご自分のことを俯瞰していらっしゃるような、すっとしたしなやかな背骨が見える美しくて魅力たっぷりのステージでした。
笹川さんのピアノの弾き語りで聴いた「家族の風景」は、言葉には言い表せないくらい、細胞のすみずみにまで染み渡るような重厚で温もりのある美しい音色。自分の歩いてきた道のり、刻まれた時間をしみじみと踏みしめて味わうような、懸命に生きる人間の鼓動のようでもありました。『blank13』の世界観そのままに、静かな余韻が会場を包み込んで、ハナレグミのカバー曲である「家族の風景」が入ったアルバム『新しい世界』は、さまざまな状況を乗り越えてきた笹川さんが、これからも音楽でやっていくぞと覚悟を決めたアルバムだったのだそうです。
斎藤工さんの監督としての覚悟、主演を務めた一生さんの覚悟、そして笹川さんの覚悟…それぞれの想いが、見事につながり結集したかのような『blank13』。2月に劇場公開されたこの作品は、国内だけでなくさまざまな国からも支持されていて、6月27日までトロントの日本映画祭への出品もされているのだそうです。監督のおっしゃるように、低空で長く飛行し続けて、どうか必要な人の元に届きますように。
shino muramoto●京都市在住。雑誌編集・放送局広報を経て、現在は校正士、時々物書き。最近楽しみにしているのは、NHKで放送されている向井理さん主演のドラマ『そろばん侍 風の市兵衛』。そろばんを生業とし、町に潜む悪を颯爽と退治していく…。辻堂魁さん原作の魅力的な物語と向井さんの美しい佇まいや殺陣のシーンは見どころたっぷりです。